『人体と植物展「萠ゆる瞼」』
吹島 彩/森川エリー/Naomi DAME/夜田 偶
2018.4.16 - 2018.4.22
植物は、その種のとりどりにそれぞれの葉をつけ、異なる花を咲かせる。
今日この空間に、表現手法も世界観も異なる四者の作品が集い咲いたことで、
植物のこの複雑性が、空間の複雑性として、そのままに立ち上げられることを願っている。
そしてまた、四者の作品を「たねとして」、
来場された皆様それぞれの精神に、万の葉が繁り、万の花がひらくことを願う。
主催:吹島 彩、森川 エリー
Text:夜田 偶
人体と植物。
ふたつの絡まり、あるいは融合。
その官能に共通の認識・感覚を抱く4名の作家(吹島 彩さん、森川エリーさん、Naomi DAMEさん、夜田 偶さん)が集う展覧会が開催されています。
表現ジャンルの異なる作家が集いながらもその根底では互いが通じ合っているようにどこか感じられる本展。それは単純にひとつのテーマを共有している故ではありません。
主催者のひとりである吹島さんによると「人体と植物」をテーマとして掲げ、出展作家を探しはじめたとき、扱う媒体に関わらず、その官能に対しておなじ感覚を共有できることに拘ったのだそうです。
1-Fに突如あらわれた濃密な空間。展覧会を構成する4名の作家と作品を一部ご紹介いたします。
ナオミ・ダメ「煙になっても」
木板に描かれた男女の肌には素材の木目が透け、花と花に挟まれ展示されれば、モチーフである彼らが自然に溶け込んでいるかのようにも、植物そのものであるかのようにもみえます。本作はインドネシアに生まれ育ち、現在は日本に在住するナオミ・ダメさんによるものです。夢と現実の狭間のような、煙にも似たあわく儚いものを表現しつづけるナオミ・ダメさんの「人体と植物」というテーマへの呼応は神話的でした。
「表裏一体の現実、縫い目には表があって裏もある。二面性、0は女、1は男、
0では何もできないが1が加わることによって生み出される二進法や子供のように
そんな世界を表現している」
この一帯には上記のステイトメントを掲げ作家活動をされている森川エリーさんによる作品が集められています。わたしたちが日常的に目にする馴染みの深いモチーフに植物が絡みつくオブジェやコラージュは展示空間でも大きな存在感を放ちます。
夜田偶「うぞくる」
夜田さんは「口に出されないこと」「見逃されるもの」の存在を身体感覚として文章に呼び起こす詩人・文筆家です。本作では紙面における文章表現を越え、立体×詩のコラボレーションに挑戦されています。
「うぞくる」とは、「身体から植物が生えてくる感覚」をイメージした夜田さんによる造語。各側面に詩の書かれた立体の内部にはいっぱいにうぞくるの文字が連なり、また新たなちいさな箱、そして詩が。身体から異物が生えてくる胸騒ぎや肌ざわりを想像させられます。
吹島彩「巡り巡ってまた明日も」
「言いたくても言えないこと」「見えていても見たくないこと」に焦点をあて表現をつづける画家・吹島彩さん。神々しささえ感じる本作は、黒い用紙にパステルで描かれています。単色で描かれながらそれぞれの植物のみずみずしさや表情の描かれた様は、まさに「人体と植物」の融合、そしてその官能を思わせます。
巧妙な空間構成やコンセプトの緻密さが作家それぞれの作品の魅力を際立たせる本展。
あらゆる作家がひとつの空間に集い、あるイメージ・感覚を共有するという機会についても再考させられました。
会期は22日まで!是非、足をお運びください。
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