不幸な少年少女展

しみず ゆう


多摩美術大学に通う13人+αによる
不幸に溢れた幸福な展示

 「不幸な少年少女展」
会期:2017.2.3 - 2017.2.9
WEST : 1-A SPACE



「ふこうシリーズ」さかまき ゆり


ドストエフスキーの言葉を引用し、
「不幸とは何か?」という問いに対し、
「今ある幸せに気付けないことだ」という自身の考えを、
絵画を介して、返した、さかまきさん。

綺麗な花、美味しいケーキ、ワンピースの素敵さ。
作家の生活範囲内で見つかった、
小さな幸せが、暗闇の中で、取り上げられている。


「スーパーフィシャル」なかむら


表面的な、うわべだけの…等の意味をさすタイトル。
はて、表面に対して内面とはどういうものだったか。

のびた髪も、まとった衣類も、ヘッドフォンも、
個別に意味、機能を持ってはいるが、観察するぶんには、
すべては表面的。視覚で捉えられる情報の多くは表面的。

表面的とは、視認できる情報のことだと仮定すると、
どの位置にどんな色の絵の具がどれくらい定着しているか、
その集積が絵画表現である。

直接描かれていないものは、表面になれず、存在さえできず。
直接描かれたものは、全てが自然物、人工物として認められ、
最終的には、何物にもならない。覚めれば空しいのである。


「大好き♥私の田中くん!」アミガハラ深亜


覚めれば空しい、そんなことを綴ったばかりであるが、
ならば覚めなければいい、幸福は持続するとばかりに、
没頭できる存在が、彼女のそばにいるようである。

しかし現実はその思いをうまく汲んでくれるとは限らない。
現実とは、言い換えればエネルギー。
覚めぬ間も、肉体はエネルギーを欲し、消費し、
循環のために排泄をし、睡眠を求めようとする。

幸せを続けるためには、
エネルギーが必要で、現実が大切で、
やはり、持続には覚める瞬間が必要なのである。
この幸せな風景にも、それはやがて、やってくる。


NANA.O


「不幸」も「幸福」も、
ともに誰かによる評価である。
よって容易に変化し得るものである。

思い込み次第でどうにでもなるはずなのに、
なかなか思い通りにはならず、もどかしい。

生きる上で逃れることができない、
身近かつ、重要視されるその思考。

汎用性の高いテーマ、
作品・展示会を通して再考してみてはいかがでしょう。


 「不幸な少年少女展」
会期:2017.2.3 - 2017.2.9
WEST : 1-A SPACE