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駒澤大学写真美術部 KNAP



>>駒沢大学写真美術部 『デートしようよ展』
>>会期:2015.12.11 - 2015.12.13

あれからはや2ヶ月、
再びご出展頂きました。
あけましておめでとうございます、本年も何卒よろしくお願い致します。

「駒澤大学写真美術部 KNAP」
今回は17期卒業生である4年生 11名が参加。
タイトルは『自由ピープルは眠らない』
もう、DMからしておしゃれで、見たくなるでしょ。



「曲がりくねる直線にある点の上」
高橋 かほり


具体的だけど不定形なタイトルが興味をそそる。
芯が通されているようで、なんか違う。
隣接する六枚の写真作品が近くて遠い。
無関心を装って、実は近づきたいとか。
そんな距離感に好ましいむずむず感がある。


「すべからく」
小泉 卓也


自らの大学時代を振り返ってみると、
「すべからく」というタイトルに対して、
自分の頭の中に浮かぶワードは「モラトリアム」
勉強は確かにしてたけど、猶予期間で、
ゆとりがあったから出来たこと/やろうとしたことが、
本当に沢山あった。
思い出して、なんか苦しくなる、もちろん、悪い意味じゃない。


「17歳」
野中 美咲


モラトリアムという言葉を持ち出してすぐに、
17歳、もう数字の形と並びからしてセンチメンタル。
小学校時代、運動会の日には自分のイスをグラウンドに持ち出して、
それに座りながら1日を過ごしたことを思い返す。

公園とか市民会館とか、そういうところにも、
グラウンドはセットであったりするのだけど、
学校だけに限ったことじゃないのに、それでも遡ってしまう。


「視線」
長久保 里沙


人間には見えないものを
他の動物たちは見ることができたりする。
人間と動物では、光として感じる波長範囲が異なるからであるが、
それにしても、猫ってあらぬ方角を見ている印象がある。

熱心にじーっと見ているものだから、
その姿を見ていると「本当に何かいるんじゃないか?」
って思ったりする。

彼が見ている対象をもしかしたら私達の視覚でも
捉えることができるかもしれない。
しかし、対象はマットの中/その先にある。
だから、想像しよう。


「僕の友達」
西川 智大


本展示会の記事を作成するにあたり、
昔のことを思い返してばかりである。

女性のマネキンを自宅で保管していた大学時代の後輩がいた。
細かい理由は憶えていないが、
マネキンを手に入れた直後はとても嬉しそうにしていたと思う。

このマネキンだけじゃなくて、人形でも石ころでも、
そこに魂を見いだせば、名付ければ、何にでもなり得る。
血が通っていなくたって、友達にはなれる。
それは、映画「キャスト・アウェイ」のウィルソンも証明している。

しかし、不気味である。
交通安全講習で、人が車にひかれるとどうなるか?
を実践する数分前みたいな殺伐とした空気感がおさめられている。


くろさわ あすか


作品を眺め、ふと横のボードに目を向けた。

「写真を撮るのが楽しいので
 たぶんずっと撮るのかなと思います。」

この言葉がタイトルである可能性もあるが、
私は言葉の通り、撮影という行為に向き合うに対する想いが
素直に綴られているだけだ、と思っている。

物事にはじまりと終わり、そしてピークが存在するとしたら、
くろさわさんが捉えているのは、ピークに至る直前。

何かに熱中する直前、最も我を忘れるであろうその瞬間こそが、
私個人も魅力的であると考えている。




駒澤大学写真美術部 KNAP
『自由ピープルは眠らない』
会期:2016.2.19 - 2016.2.21


「彼らは、展示作品のように何ものにも縛られない
 若々しく活気に溢れる自由ピープルたちです。

眠ることなく、今後もカメラを片手に、
何ものかを撮り続けて頂きたい。