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福留 茜 『個展「好き、残酷、好き」東京編』

「 THE好き 」


福留 茜 個展 「好き、残酷、好き」東京編
会期:2015.12.18 - 2015.12.20 会場:SPACE 2-A


当ギャラリーの1月、5月、そして今回12月。
また大阪にも遠征するなど、精力的に発表をされていました。

進撃を続ける福留茜さん。

激情を規定されたキャンバスに静かに叩き込み続け、
制作された絵画作品の数々をご紹介致します。






< 過去の様子は以下のリンクからご覧頂けます >

実は物腰は柔らかいのに、実は大変ストイック。
そんな内面は会話の中、作品に表出させない。
作品と共に愛される理由がわかる、そんな福留茜さん。

さて、本展示に対して個人的な感想を述べるとしましょう。


「2次元ラバーズ」

「良い。」

シンプル過ぎたでしょうか、いや、良いのです。

激しいタッチで描かれた表層の下に隠れた、
慎重に緻密に引かれた線と塗りの行為が、
過去より洗練されているのです。
私の功績ではありません、来場者の期待と予想に裏切り応えた。


「2次元ラバーズ」
懐かしいファミリーコンピューター的な機器をテレビに接続し、
表示されるゲーム画面にノイズ。
2と3は相容れない、一方方向からのみの認識。
いや画面からの認識はあるけど、それは対象が定まっていない。
結局のところ、プレーヤーが「そう思い込む」ことを必要とする。
画面右下を漂うキャラクター「ベロくまちゃん」が仰る通り。
儚いね、ほんとうに。
覚めたくない。


「自己中心的チュウ」


本展示、福留茜さんのファンなら尚更、
その変化と進化に驚きと喜びを感じるはず。
洗練って言葉、あんまり好きじゃないけど、
過去から現在までの作品を振り返ると、やっぱりその言葉が適切だなと思う。

「自己中心的チュウ」
魅力的な文字の形のせいで、
意味がデザインより遅れて脳に届く。
女の子→男の子→二人→文字
みたいにカットが切り替わる、音楽のPVを想像した。
そうしたらその後、脳に爆音が流れた、気がした。
ワクワクする迸る。


「THE好き」


最初にご紹介した「THE好き」を引きでご紹介。
キまってる、このまま引き延ばして大判ポスターにして、
街中に勝手に張り出したい。
壁一面を覆い尽くすように張り出して、
行き交う人々の口から「これから何が起きるんだろう!」
とかワクワクさせて、何もしない!

何もしなくていいのだ!
この作品と出会い、ワクワクしている時点で、
もう何かが起きているのだから。


「好き、残酷、好き」


本展示会のタイトルと同名の作品。
過去のテイスト、現在のテイストがミックスされている。
元々、福留さんは書き込み量が多く、情報量が多かったが、
幾多の作品を制作し経験することで、制御が大変巧くなった。

巧いというのは、オトナになるとか、セーブするとかじゃなくて、
欲望の捌け口に継ぎ目なくパイプをはめ込んで、
ロスなく、熱情100%の純度で作品にかける技術を得た。
みたいな感じ。

シンプルに見えるバックグラウンドだって、
よく目を凝らせば何層にも凝縮された痕跡が確認出来る。
そう、シンプルに見えるだけ、そこに存在するものに変わりは無い。


「新しい彼女(私じゃない他の女)」


福留さんご本人にも直接お伝えしましたが、
一番ショックを受けたのがこの作品でした。

良い、悪い、という感情の色付けをするより先に、
ガツンと頭とか心を鈍器で殴りに来た作品だから。

仲良く手を繋ぐ男女の手/腕ナメで、
その光景を切り裂かんばかりの気迫。
目が乾いちゃう、と心配したくなるくらい目を見開いて、
乾燥を阻止しようとする涙は、悲しみを誤魔化す役目も担ってしまう。

「ふざけんな」という怒り、
「まだ好き」という愛。

ベクトルは一緒。
ただただ、過ぎるだけ。それ故に突き抜ける。


「ひかり」


ここで一休み。
真っ白だったはずのキャンバス地が、
キャラクター「ベロくま」を追いやるように黒く潰されている。
ゲーム:ボンバーマンの時間切れみたいだ。

ふと、この光景を皆様はどう捉えるか気になった。
私のように「狭い」と捉えるか?
それとも、僅かな白(余白)を前向きに捉え、
広がりを想像するか?

光は程良いから心地良いのだ。
100%濃度の酸素が人間にとって毒になり得るように。
だから、結局はどちらにだって傾く。

ひねくれたい私としては、
潰される寸前五秒前〜からの逆転劇。
もしくは、この狭い部屋での奇跡を期待したい。
つまり、衝撃的なシーンを期待している。





さてここまでご紹介した作品は全て、
キャンバスに描かれていましたが、
会場の中央にはラフなタッチでボードに描かれた作品が数点御座いました。
敢えて作家には確認を取りませんでしたが、
「福留さんの秘密〜その1〜」みたいなヤツだと。

否否否否否
そのバランスを測る基準線が薄ら見えますね。
画面右端に気になる数値、小数点以下一桁まで。

設計図みたい形をしてますが、
このタッチの味もたまらない。
このトリミングだと八十八ヶ所巡礼のマーガレット廣井みたい。
(知らなかったらぐぐってね)


「飼い猫が死んだと君からの電話、僕は君の声が聞けて嬉しい」


絶望とか狂気とかに不意に襲われて、
どうしようもなく悲しいとき。
誰が助けてくれるか。
私は決して助かることは無いのだと思っている。
無いものは無い、違うモノで埋め合わせるだけ。

しかし、その思いをくんでくれる他者がいたら、
どんなに幸せなことだろうか。

「新しい彼女(私じゃない他の女)」とは違う性質の、
愛がふんだんに描かれている。
涙は前に進む為にあるのだと、とても前向きな一枚。


「ゆふだち」


最後にご紹介する「ゆふだち」では、
彼の新境地を垣間見た気がしました。

「飼い猫が死んだと君からの電話、僕は君の声が聞けて嬉しい」
の次にご紹介したのは構図が近いのに、確かに違う、
この想いを伝えたかったから。

言葉は描かれていない。
泣きじゃくる彼女と真っ黒な円、門のように開かれた喉。
バックの不穏なグラデーション。

より深く、深くに沈んだ澱を汲み上げることに成功している、
そう思いました。



展示会の回数を重ねる毎に会場のスケールを大きくさせて、
自らにプレッシャーをかけ、更に上のステップに押し上げ、
とうとう、28.5㎡の広さに手をかけました、福留茜さん。

どんどん大きくなるし、強くなる。
期待してハズレ無し、今後のご活躍も期待してます、
と、プレッシャーを上乗せ。


福留 茜 『個展「好き、残酷、好き」東京編』
2015.12.18 - 2015.12.20