デザインフェスタをきっかけに出会ったフォトグラファー
Circoccoさんとsachiakiさん工藤拓さんによるポートレート写真展
" Girllady " ご紹介致します。

sachiakiさんは主にCircoccoさんを
レタッチ、デザイン、スタイリング、ディレクション等
様々な面でサポートをされています。
お二方が制作された作品は、
レイヤーを10数枚程度重ねる等を行い、
レタッチが施された写真作品となります。
しっとりと水気を画面全体に感じる、
艶のあるポートレートの数々。
一つの作品が作り上げられるまでの
数々のアプローチの痕跡が伺える。
この構図に確定する理由と経緯と説得力が
撮影者の説明無しに伝わるということ。
僅かな髪の流れや、か細い草木の傾き、衣装の皺。
無数の要素が意図されたもの。
こちらの作品は画面下が水色に染まっていますが、
この部分は10数枚ほどのレイヤーを重ねて表現されているとのこと。
淡い色調はインクジェットプリントによって表現され、
外光を反射することなく、受け止め、鈍く輝く。
芳醇な光が写真から、彼女から溢れる。
お二方の作品は、光を多分に取り込まれている。
また、その結果に生成された影/暗部が写真に重さをもたらして、
壁面に腰を落ち着ける。
ゆっくりと
積極的にレタッチを行い
ここにはない場所/情景を創造する
形作る。
地に落ちた羽、花びら、皮膚の色。
羽化した非現実を画面に定着させる
sachiakiさん/Circoccoさんの作品は、
ダークトーンでも強く明るく映っている。
工藤拓さんは女子高校生を被写体とした
写真作品を展示されています。
肉体も精神もいまだ成熟しきっていない
今なお成長の彼女たち。
「何」を撮るのか?
それは物理的な話ではなく精神的な話。
工藤拓さんの作品におけるキーワードは二つ
" 存在 " と " 自然体 "
この二つを念頭に作品をご覧頂きたい。
" 50年後、100年後…もっと後の時代になって、
どこかの誰かがこの写真を見た時に、
「こういう時代の、こういう顔をした人が、こういう想いを持っていた」
ということを認識して欲しいと思いながら撮影を続けています。 "
この優しい言葉があれば、
解説も何も添える必要は無いと思うのだけど、
私個人の感想を綴らせて頂きたい。
ただただ、眩しい少女達は皆、
一人ももれることなく、
ファインダーをのぞく工藤さんと視線を交わしている。
以前読んだ、荒木経惟の私小説でも
被写体の懐に潜り込んで、被写体と撮影者が互いに意識し合う重要性が
語られていました。
撮影者である工藤さんを意識した少女達は、
写真には写らない場所に居る工藤さんを意識していて、
それは印画紙の向こう側から私たち鑑賞者に向ける視線にかわる。
時間も場所も異なる場所に居る鑑賞者が、
自分が
彼女達と他人では無くなる瞬間。
プリント部分の周囲に広がる白い余白が、
この情景は過去の物であると語りかける。
これらは遠い出来事はなく、ごくごく最近の出来事。
しかし、彼女達を写した写真が時間をかけて、
また誰かの目にとまったとき
「こういう時代の、こういう顔をした人が、こういう想いを持っていた」
今は実感がなくとも、そう思うのだろう。
" 今 " この瞬間の連続の中に生きる私達を
センチメンタルの海底に沈めてくる、工藤拓さんの写真。
清々しくて、泣きそうになる。
(ぱんだ)