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カメラ係『記憶という曖昧な現実と空想』



カメラ係『記憶という曖昧な現実と空想』
2019.7.13-2019.7.15
[WEST 1-G]

昨日何を食べたか、さっき見た風景はどんなものだったか、幼かった頃見た景色はどんなものだったか。
人間の記憶は実に曖昧で、日常のささやかなものからターニングポイントとなった出来事まで、はっきりと覚えていたり、おぼろげにしか思い出せなかったりします。
写真家カメラ係さんが着眼する「記憶」とは。



スペース内を彩るのは、ブルーの世界で表現されたポートレートの数々。
「(撮影後加工をせず)カメラを撮るだけで作品を完成させたい」というカメラ係さんは、写真をいかに絵画やイラストのように撮影できるか、という試みを行っていらっしゃいます。
そのためにデジタルカメラ内で設定を全て行い、現在はほぼその独自の手法が確立されたといいます。
青を基調としているのも絵画的に表現するための手法のひとつ。
本来、カメラは肌色を綺麗に撮影するために設定されていますが、あえて寒色を基調にすることで非現実的な印象を与えることができるのではないか、という考えからきているそう。
また、光も自然光のみで撮影することにこだわっていらっしゃるのだとか。



そしてこちらの作品が今回の展示のメインテーマの核となる一枚。
あえて中央から右手はくっきりと、そして左手の部分を白く飛ばすことで、「はっきりしている記憶」と「曖昧な記憶」を両立させているそうです。
一枚にそのふたつの印象が共存することで、「記憶」の根幹が集約されているよう。
この作品を起点に、その他の作品への広がりがもたらされている配置となっています。



はっきりとピントが合ったものから、画面全体がぼやけたもの。
不規則に並べられたそれらによって、人々の記憶の曖昧さを表現されています。



少女性が感じられるこちらの作品。
見たことはなくても見たことのある風景のような、潜在的に潜む自分の記憶を呼び起こされるようでした。
水彩画のように撮影され、「非現実のようであるが現実」という不思議な印象を与えてくれます。



個人的にお気に入りの作品がこちら。
家でくつろぐ女性の姿が、こちらも近づいてよく見ると、アクリル絵の具で丁寧に色つけを施された絵画のよう。
ブルーを基調としているにも関わらず、自然光と女性のコントラストが柔らかく、非現実的な美しい日常風景に感じられます。

自身の表現を確立されていらっしゃるカメラ係さん。
弊廊では写真作品が数多く展示されていますが、写真は掘っても掘っても奥が深く、まだまだ多様な表現があるのだなと実感させられました。
また、カメラ係さんの表現される人間の記憶の曖昧さとその儚さに、刹那的な何かを感じずにはいられませんでした。

本展は本日7/15(月・祝)まで。

是非、間近でじっくりとご鑑賞くださいませ。



<スペース詳細はこちら>

[WEST 1-G]

staff kome