ヒトミシリ。 『こてん、コテン、個展。~いつになったら大人になれるのスペシャル~』



ヒトミシリ。
 『こてん、コテン、個展。~いつになったら大人になれるのスペシャル~』
2016.5.2 - 2016.5.8
GALLERY SPACE : 2-B


2015年5月以来、丁度1年ぶりのご出展です。
彼女が制作した絵画たちは自然と自我を持ち、
作家の手を離れ自立し我が道を行こうとする。

表層で生まれる暴力性、
その経緯を考えたい。





まず、暴力性がある...といっても悪意があるかは別の話。
例えば彼女の作品が持つ暴力製を何かに例えてみる。

金づちは、突出した何らかを打ち付ける目的より、
その先が平に加工されている。

しかし、彼女の作品は金づちとは違う。
打ち付ける目的など与えられておらず、
当初は異なる目的で作られたものだ。

コンクリートブロックとか、近いかもしれない。
ミステリー小説とかで凶器とされるガラス製の灰皿だと、
使用方法が簡単にイメージできてしまうのはなんか遠い。
単体では機能しない「素材」の役割を担うモノが良いのかも。




つまり、誰かを殴る為に描かれた暴力じゃないから、
怖がらなくて良い、と書きたかった。

生まれたときから既に自らの肉体に内包されている
臓器とか、もっとグロテスクだ。
そもそも、私達がグロテスクだ。

彼女が多用するマゼンタの色合いは、
自然と血や肉のイメージと結び付き、
肌より内側→肉体→精神にベクトルが向く。





だから鑑賞という行為が、身体の内側を覗き込む行為に似ている。
(もちろん実際にやったことはないが)

ぐっと手のひらで押されるように、
内臓に負荷がかかる、感じがする。

描かれたモチーフ、その輪郭の多くは、
あられもない豊満な女性の肉体(裸体)
鬱血しているみたいに赤くて、
沸騰しているみたいに波打つ。

やはりベースは肉体なのだと思う。






彼女の絵画作品は、
支持体の枠組みを揚々と越える。

ルールとか当たり前とか通例とか、
そんなのは通じないし、頭にない。

作品には手が生え、足が生え、触手が伸び、
作品保護を目的とせずエアキャップが巻かれたりする。
作品を保護することが作品制作の一部、
なんて構造、素敵。






ありがたいことに、当ギャラリーでの出展回数が多いことから、
彼女の作品を観る機会が多く、その経験から申し上げるならば、
やはり、キーカラーは、マゼンタだと思う。

上の作品は以前、日本画に関する講義を受けた際に
制作された作品とのことだが、
やはりマゼンタは潜んでいて、
相変わらず、自身のキャラクター性がばっちり反映されている。




そして相変わらず、
奇想天外、混沌無形のマチエール。
定位置に留まらないその姿こそが、
彼女らしさ。

初めて作品を拝見してから、
ずっと変わっていない。
しかし実は、緩やかに変化を続ける細部。


デッサン会で描かれた裸婦画


決めかねていた展示タイトルは、
会期二日目に、会場にて決めたそうです。

『こてん、コテン、個展。~いつになったら大人になれるのスペシャル~』

大人ってなんだろうね、って話をしました。

「子供」がいるから「大人」がいるように、
最初から大人にはなれないと思うのです。
そして、大人になる為に必要なのは他人の視点ではなく、
自らの考え方や行動であると考えます。

大学卒業後も仕事の合間に制作を継続。
作品を売る事はまったく考えておらず、
純粋に、作り、見せる、それだけを考えていらっしゃる。
その行為と生活を繰り返し、いつ大人になれるか?
大人ってなんだろうね。

そんな純粋さ故に生まれ出てきた作品たちの一端を見て、
ほころびととるか頭角と捉えるか。

描かれた対象が内面の深層である以上、
情報を心と記憶に沈めてから、考え、判断するほかない、
そんなスルメみたいな味がする。

長くなりましたが、良い悪いの物差しをあてがうのではなく、
作品単体を素直に鑑賞し、可能であれば受け入れて欲しい。


(ぱんだ)

ヒトミシリ。
 『こてん、コテン、個展。~いつになったら大人になれるのスペシャル~』
2016.5.2 - 2016.5.8
GALLERY SPACE : 2-B