石原由唯/栗原莞爾/宮内いずみ/吉田星矢
『 inter- 』
会期:2016.3.11 - 2016.3.13
多摩美術大学油画科計四名による展示会。
むわっと漂う油絵の具の香りが好奇心をくすぐる。
石原 由唯 <https://twitter.com/gass_panic>
「天国はどこにあるの」
天国、勝手なイメージでは色彩は青と白。
抜けるような空と花畑、正に今回の作品。
作品、表面的に見てみましょう。
どろどろと絵の具が支持体を滴り落ちるのは、
水彩画でよく見かけるけども。
粘り気・固さがある油絵の具では自然発生しにくい現象。
見かけは毛羽立ちとでも言い換えられましょうか、
情景は定着することなく、支持体の上で暴れ回っている。
「〜どこにあるの」の問いかけが、
結果と行為の対比をもって行われている。
味気ないグレーのコンクリート、床の上、
雑然とちりばめられたアートピース。
そんな光景の上に彼女のキャンバス画はある。
だが、その置き方に優劣は感じられず、
床を壁面と同列に扱うように、床をじっと眺めてしまった。
石原由唯さんの前回の展示会の様子はコチラ
栗原莞爾 <http://kanji-kurihara.tumblr.com>
「今日も頑張りますか」
タイトルが卑怯である(褒め言葉である)
骨が服を着ているのだ。
もしかしたら彼はとっくに死んでいて、
死体が服を着ている、構図なのかもしれない。
頑張るのだから、目的は娯楽ではないだろう。
もし、仕事だとしたら、
死んでも終わらない労働の連鎖。
パステルカラーに誤魔化されそうになるけど、
解放されない怖さが内包されていると思う。
「化粧」
またまた、骨モチーフの作品を(自然に)取り上げてしまう。
三つの頭骨を一繋ぎにしようとする試みのレーザービーム!
って勝手に書いてしまったけど、これは個人的な感想である。
(私は、左右に引かれた線は、もっと感覚的なものとして捉えた)
皮膚を削ぎ落とし、より純粋なる私の殻。
今現在は、殻(頭骨)が彼の最表面である。
死化粧という言葉が頭をよぎるが、
生死を問わなければ「死」という言葉は不要な訳で、
純粋に化粧という言葉を添えるのはスマートである。
宮内いずみ <http://1i2z3m-ovo.tumblr.com>
「19.5歳について」
寝ても覚めても、生きながらえさえすれば、
年齢上は成人に位置づけられるのだから不思議である。
成人すれば、飲酒も喫煙も解禁され、
おおっぴらに出来ることが増える。
しかし、そんなことよりも、
成人に至る前に、自らの行いを振り返る機会として、
成人式という儀式があればいいなと、今作品を眺めて思った。
過ぎたことを思い出そう。
未来に目を向けてばかりだと、足元をすくわれる。
自分の下地は、過去の積み重ねに他ならないのだから。
「振袖寿司」
成人式というワードを取り上げて、
次に紹介する作品が今作品で良かったと思う。
豪華だ→高そうだ→食べていいのかな→そもそも食べられるのか
私の思考は上記のように流れた。
恐れ多いというか、崇め奉りたい!と言えば良いのか。
この気持ち・欲求の根源を知りたい。
さて、じっと眺め続けていたら、
振袖寿司の具材の一部が
「数の子、イクラ、赤身」のように思えてきたので、
食欲が優勢になってきた。
吉田星矢
「あめ」
彼の奇天烈な外見をさておいて、
「雨がぽつりときたのかい?」と訪ねたくなった。
それは、大きな魅力だと考える。
①真っ赤なベレー帽を脱ぐ
②手のひらを天に向ける
③口を開けて空をあおぐ
目的を伝えるために記号化された漫画的表現なのかな。
そんなことを頭の中でこねくり回している間に、
遠く向こうの真っ赤な空の存在に気付き、
あたりは火の海なのか、それとも血の雨でも振るのかと、
不穏な気配には気付きつつも、彼の存在から目が離せない。
「め」
生命体にとって重要な器官であるというのに、
目(め)は、何故こんなにもシンプルな文字に置き換えられるのか。
重要度を理由に多用されることを想定した結果なのか、話がそれた。
さて、ブルーバックが連想させるのはやはり空。
シュルレアリスムの思想を引き継いだかのような世界観のもと、
目、腕、顔、目玉焼き、比重はやはり目(め)に重きあり。
要素は多いけど個別のモチーフは具体的かつ記号的であり、
描かれた多数のモチーフを俯瞰して「目(め)」を想うことにする。
石原由唯/栗原莞爾/宮内いずみ/吉田星矢
『 inter- 』
会期:2016.3.11 - 2016.3.13
(スタッフ / ぱんだ)