2014年8月に行われた「憂鬱少女展」が
【俗】を得てDESIGN FESTA GALLERY に帰ってきました。
- ARTIST -
いちご 今井 りこ カズさん 西塔 まゆき 島 円御
鈴木 慎吾 ヒジカタ チナミ 町山 うさみ ミズタマリ
【俗】憂鬱少女展 WEST : 2-A にて開催
前回の「憂鬱少女展」は写真展でありましたが、
今回はイラストレーターもメンバーに加わりパワーアップ!!
また展示にあわせて無料配布のブックレットも御座いました。
時代と共に変容する「少女表象」みたいに不定形で、
ぼんやりとしたものだと思って頂ければ良いのかも。(ブックレットより)
無数に存在している○○少女の可能性の中から、
一部では御座いますが、作品をご紹介致します。
表に大きく打ち出す/アピールする「少女」という特徴を、
程よい距離から写し出すと私たちの手の届く場所に、
彼女たちがいるように錯覚する。
モデルも自身のキャラクター性を意識した上で、
カメラに向けて自己を解放する。
制服を着た状態でのポートレート。
廃れたバックグランドと胸元の赤いタイの組み合わせは、
情熱的なネガティブさを帯びていると思う。
背後のサイン/矢印が
「あっちに行け」「こっちに行け」と
命令する。
彼女はその間に居る。
お次の1枚は、和装した少女が線路を渡るショット。
その衣装が特に活躍したであろう時代は昔のことで。
線路、遮断機と少女、性質の異なる組み合わせは、
興味深い光景である。
彼女の向かう先への興味。
逆行で彼女の腕は僅かに透けて、
その肉の内側の色が見える。
指先には蝶だろうか、ひと時羽根を休めて、
その瞬間を捉えた。
彼女の表情は見えないけど、
この行為こそが、彼女の表情である。
巷には「眼帯少女」というジャンルもあるようです。
見えないことが、隠された先への興味を涌かせる。
彼女の表情にはたっぷりと影が落ちているけど、
よく見れば、瞳はこちらを覗いている。
雑踏の中、冷たく、静かに。
私もやったことがあります。
三角コーンには夢がある。
注意喚起の赤色を頭部に置き換えて、
今の彼女は三角コーン。
さぁ、工事現場前に沢山の彼女を立たせよう。
もうすぐやってくるクリスマスを思わせる。
ぴんと伸ばした両の指先で、
口元を隠す様、彼女は何に驚いたのか。
暖かそうなフリースのアウターとスカートは、
デートの服装ではないのか。
だとすれば、この数秒前にあった出来事は、
たぶん、恐らく。
狭い衣装ロッカーに隠れられるのは、
ガタイの良い男の子ではなく、女性の特権。
人間は何かに身を寄せると安心するというが、
彼女の場合はそれでは無いように思う。
ロッカーの壁面は堅いのだ。
つまり、それは一時的な避難場所でもある。
今回、憂鬱少女初参加「島 円御」さん
私が最も注目したイラストはこの一枚。
少女の背から無数に生える腕と
その腕からまた生える腕。
白い包帯と隙間から溢れる血液の組み合わせは、
巫女の衣装を連想させる。
「少女」という響き、漢字は、
神につかえる巫女という存在と
ぴったりだと思うのです。
色ということで再び申し上げるならば、
彼女とカメラマンの間を遮る真っ赤な柵は、
神社の鳥居を連想させる。
彼女の真っ赤な唇とタイの支えもあるだろう。
赤/朱色は様々な力を持つとされており、
その奥に存在する少女は、
より特別な存在であるかのようだ。
長い髪がその表情を大きく隠すとき、
憂鬱という言葉は近付いてくるように思う。
それは表情がよく見える様に顔を上げていないから。
首をもたげ、保持する作業を行っていないから。
単純に、何か不足している印象を受けるから。
憂鬱の理由はなんであれ、
彼女の機嫌を損なう出来事があったはずなのだ。
しかし、私たちは人の表情から対象がどんな心情であるかを
読み取る能力はそれほどありはしない。
結局はわからない。
だって本人だってわからないこともある。
だから、彼女の顔をじっくりと眺めて、
どうしたのかを知ろうとする。
こうして、憂鬱少女の正体を
少し、知ることができた。
まだまだ、底は見えないけど。
憂鬱少女展メンバー 『【俗】憂鬱少女展』
会期:2014.12.13 - 2014.12.14
(ぱんだ)