17歳最後の展示、少女として最後の展示。
過ぎてしまえばもう戻れないこの瞬間を尊んで
" 卒業展 "
一室の端から端まで、壁伝いに飾られた少女の絵。
彼女達ははちみつさんの一片、肉片。
画材を通して、支持体になすり付けるのです。
靴の裏に貼付いたガムのように。
肉体、精神を蝕む存在を。
それは掃き溜めのような場所にもなりましょう。
内部に巣食う悪玉を取り除く作業なのですから。
魅力的な季節を生きる女子高生という生き物をもってしても、
痛々しい光景が広がるに決まっている。
この"作業"の繰り返しがもたらすのは、
第一に、作家自身の一時的な精神安定。
アルコールを摂取し、泥酔し、楽になろうと嘔吐を望むとして。
しかし、本来は入る場所から出すわけで。
楽になるにも代償/痛みを伴うことになる。
どちらにせよ辛いのです。
それでも、はちみつさんはこの作業を続けてきた。
毒を蓄えたままでいることの危うさ
未来を見通す程の余裕もない状態
絵画表現を介すことで化学反応した毒への好奇心
毒を可視化、他者に晒すことで生まれたハプニング
多くの要因がここまで歩を進める原動力となったことでしょう。
そして、危うさというものは、時に美しく、魅力的に映るから。
肉体的にも精神的にもマイナスな出来事であろうと、
喜んで受け入れてしまうことがある。
私も多くの危うさに目を奪われて、心を揺さぶられて、
そのおかげで今の私があると思っています。
毒を食らっても生きてゆけるのです。
直接、はちみつさんと会話をするだけでも感じる。
「私」という太い軸。
「私」とは「私以外」の何者でもなく「私」だけに通ずるもの。
はちみつさんと作品は完全なるイコールではないけど、
彼女の肉体/精神の一部分であることに違いはありません。
アウトプットする瞬間は激しく昂ったはずなのに。
定着させる瞬間には、理性の痕跡が伺えるのです。
17歳の少女が描く、静と動。
是非、この機会にご覧頂きたい。
展示日程/ 2012年8月3日(金) ~ 2012年8月7日(火)
(ぱんだ)