WEST : 1-A にて開催中、
ふぁぎーふぁぎーさんの写真展。
スタッフ KOZUEによるブログ記事が掲載されておりますが、
今回はちょっと違った視点で作品を鑑賞して参りました。
『マイセルフポートレイト』
多くは写真を通して、「自己を表現したい」、「自己を見つめ直したい」
そんな思いが起源になっているのではと思うのです。
ただ、あくまで私の予想であり、全てにあてはまるわけではありません。
"写真ならセルフポートレイトなら表現できると思って写真をはじめたのがきっかけです"
ふぁぎーさんのこの言葉が、目にとまりました。
自己表現も自己認識も写真以外でも可能でありましょう。
だから、視線が止まった。
撮影範囲は遠くても2,3メートル、近距離です。
ご自身を撮る、という目的が明確。
自分を撮る、今回の場合において言うならば、
自分の肉体/装いを記録に残すということ。
その点だけを拾い上げるならばファッションスナップになります。
ご自身も、ファッションスナップに興味を抱き始めているということで、
自然と表出しているのでしょう。
丁度、今回の展示はその変化の過程にあるのかもしれません。
"自分で自分を撮る"
トータルコーディネイト、それは絵画等ではよくあることだけど、
写真となれば、数は減りましょう。
自分で画の全てを調整するという点は絵画に似通っています。
カメラを見つめ返す写真が多いです。
カメラからの視点を強く意識していらっしゃる。
メイクもふんだんに盛り込まれている。
ファンデーションも口紅も、肉体からしたら異物であります。
異物を肉体に付着させる、装飾品。
自然体ではないのです。
人の手によって作られた光景なのです。
さて、自己の肉体を晒すっていうのは、
慣れないと抵抗があるもので。
絵画作品以上に葛藤があるのではと思います。
更に、衣類を脱ぎ捨てて、地肌を晒すっていうのは、それまた。
撮影のハードルはセルフ撮影で簡単に乗り越えられるけど。
公開に関しては、吹っ切れるか、突き抜けるか、強制か。
何らかの強い意志が無いと踏み込めない。
ヌードを推奨するわけじゃないです。
でも、セルフだからこそ内包されたものを出せる、ありますよね。
自分しかいないから、できること。
R-18やら成人指定やら、暴力、性、宗教etc
肉体が触れずとも、鑑賞することにさえ制限がかかることがあります。
それら制約をはねのけていける身軽さは、孤独によって得られやすくなる。
今展は作家紹介の場であるように感じるのです。
タブーには魅力があります。
でも継続していくとドラッグのように自身が蝕まれる。
あるべき姿は、飛び道具でしょう。
数多く存在するツールを駆使し、
今後、どんな写真を撮影されていくのか。
また、ギャラリーという場所に写真を飾り、
更に一歩外側から見つめたご自身の作品がどう精神に働きをかけるか。
STAFF KOZUEと同じく、次の一歩に興味を持ちます。
(ぱんだ)