EAST : AP-7
"今回の物語は「みどりちゃんのお葬式」です。
愉快な愉快なみどりちゃんによるみどりちゃんのお葬式をつくります。
あの子やあなたが氾濫するみどりちゃんの世界に是非参列してあげてください。"
愉快な愉快なみどりちゃんによるみどりちゃんのお葬式をつくります。
あの子やあなたが氾濫するみどりちゃんの世界に是非参列してあげてください。"
数十センチ四方の空間にharukaさんが作り出したのは "葬式" でした。
彼女の作品はどんな場所に連れていかれたとしても、
物怖じすることはないでしょう。
その根拠は、この展示の随所で見て取れるのです。
展示日前、彼女から立体物を置きたい、という相談を受けました。
が、僕はこの光景を僅かも想像していなかった。
そのことを伝えると、満足そうな表情見せてくれました。
家具と呼べばいいのか、なんと呼べばいいのか。
でも、仏壇と呼ぶべきなのでしょう。
上部の膳の上には液体を蓄えたフラスコとお焼香用の線香入れ。
下部には位牌やお供えを添える余裕があって、
そこには少女達が身を寄せている。
壇の奥に鎮座しているのは、みどりちゃんの身体か。
葬式の目的は、故人を弔うこと。
その故人とは"みどりちゃん"であるのだけど。
彼女は本当に亡くなっているのか。
まず浮かぶのは肉体の死滅。
死化粧というものはありますが、
それにしても、憂いを残した少女の表情は、
生と死、それぞれを疑わせてくるのです。
匂わせるというよりも、疑わせる。
葬儀という言葉は観者を惑わせる為のしかけであって、
彼女達は実はグルで、瞳を閉じ、両手を合わせる者達を見下ろし、
高笑いをあげているいるんじゃないだろうか。
「みどりちゃんのお葬式」という今展示/物語には、
数多くの登場人物たちが存在します。
最後、ここに焦点を当てます。
観音開きの後、内側から出てきたであろう少女達の存在。
ん、あれ、彼女達は何故、仏壇内部から出てくるの?
そこは既に亡くなった方々の居場所ではなくて?
あ、君たちも既に死んでいるのか。
いや、彼女を弔う為のパレードを催してくれるのか。
悲しくて、彼女の抱きついては慣れない目隠しをした少女達。
両扉で立ち尽くし、場を俯瞰する少女達。
彼女はどこまでも愛し、愛されていたのです。
はじまり、仏壇という言葉に僕は捕われすぎていた気がします。
ここは仏壇でもあるし、そう、祭壇にも見える。
弔うという言葉を捨ててしまおう。
彼女/みどりちゃんは
"祀(まつ)"られているのです。
でも、どうせ、不満そうな表情のみどりちゃんは、
そんな僕の考えさえも、指先で弄びながら
「違うよ」
そう呟くのです、口を閉じたまま。
展示期間は今週の土曜日までとなります。
年端もいかぬ少女達に翻弄される経験、いかがですか?
(ぱんだ)