EAST : AP-9
aiさんなら、
"スロウアートという題材を丁寧に料理してくれる"はずだ。
会期日に持ち込まれた二枚のパネルの中から、
身勝手な僕の期待を裏切ることなく、真っすぐこちらを覗き込んできました。
彼は"ナマケモノ"と素っ気なく名乗りました。
一本の木に両手両足を絡ませるナマケモノ。
一生の大半を木の上で暮らす彼らの日常です。
虫や動物達が活発に活動する秋の季節を思わせる、
それは、豊かな豊かなとある日のこと…
コンセプトを下敷きに制作/展示を展開する場合、
僕個人の意見としては、まず観者に伝わること、わかりやすさを重視します。
知識/経験が無ければわからない事柄も多々ありますが、
複雑怪奇な状態で無ければいけない理由は、そう無いと思うのです。
必要が無いのなら、わかりやすい形で提示するべきで。
そんな頭でっかちの僕みたいな奴を、
aiさんは、芳醇な色彩とキャプションを広げ、
丁寧に 作品内部を案内してくれるのです。
ナマケモノを狩る為、下降してきたワシは、
標的を捕らえ損ね、上昇をする。
十分な筋肉量を持たないナマケモノは、
どうやって生き延びたのか?
僕ら人間の生活に当てはめれば、
彼らは相当ぐうたらな生活に溺れているようにも見えるけど。
彼らは毎日、喰われるかもしれない恐怖の中に身を置いている。
そこは野生動物が生きるグラウンド。
各々動物達は生き延びる為、独自の進化/行動を歩む。
その過程でナマケモノは、生き長らえる手段として、
"失うこと"を選びました。
生きる為に"落ちる"
それは死には劣るけど、痛みを伴う生の獲得方法。
この作品と対面した瞬間は、
文化に守られないこと/裸になることの過酷さを突き付けられている感覚だった。
でも、時間をかけて見つめ続けたときに、
差異はあれど、人間も生きる為に何らかの代償を支払っているのではないか?
疑問が湧いてきたのです。
意識しない日常にて、その痛みに慣れた私たちは、
「痛み」で買うことが出来る「 報酬」の存在を忘れてはいないか。
「痛み」を負の集合体として捉え、目を背けていないか。
それらは、取りこぼすことに他ならない、
生の価値を。
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ナマケモノの生態を知るだけならば、動物図鑑でも開けば良いのです。
aiさんはナマケモノを描くことで、
"ナマケモノの生態にメスを入れ、
私たちの身体を切り開いた後、
露出した生と死の隙間にルーペをかざした"
良く観えるでしょう。
ナマケモノからも良く観えますよ、貴方のことが。
「 みる/みられる 」
その意識を保持したまま、彼女の作品と対面することが、
aiさんの作品を羽ばたかせる方法の一つ、そう思いたい。
展示期間は明日、土曜日が最終日となります。
aiさんも午後から来館されるとのことですので、
もしお話してみたい!という方はスタッフにお声掛けください。
(ぱんだ)