山谷 利彦(やまや としひこ) 『見得ない線の上で』



気がつくと、いつもその線の上にいる。

山谷 利彦(やまや としひこ)
『見得ない線の上で』
2017.2.10 - 2017.2.12
EAST : 102 SPACE





僕らが生きている社会は、
ある一定のルールで微妙に均衡を保っています。
しかし、ふと一歩後から、上から見てみると、
自然で不自然なまるで線の上に並ばされているように見得ます。
写真という手段で、それを別な空間に切り出し強調したい。
そんなコンセプトを込めました。

私たちが言葉として扱っている、
日常や非日常、自然や不自然といった評価は、
多くの人々が、確かな根拠もなく、主観で使用しています。

何かのショックを受ければころりと変わり得る評価であり、
今この瞬間、ついさっき、といった、
時間に関連づけられた瞬間的な評価。

ぽっと出る言葉、感想は切ない。




本展示会のメインビジュアルになった、
建設途中、高速道路の足場を写した一枚。

建設途中、それは進行中とも言い換えることができ、
とてもポジティブな状態であるはず。

しかし、写真という静的なメディアに取り込まれた瞬間、
それは、永遠に完成しないという宿命を背負ってしまう。




どこかしらの料亭の生け簀だろうか。
店内を照らす照明は磨りガラスを透過し、
生け簀の中で生かされる魚たちを露にする。

知っているだろうか、知らないのだろうか。
前述の通り、彼らの現住所が生け簀なのだとしたら、
彼らは寿命を待たずして、死せる運命にあるのだ。

建物外に訪れた闇との対比により、
靄がかった神秘的な情景を作り出しているが、
その情景の下に見え隠れする、生と死。




続いてご紹介する作品は、
どこかにある工場、流れ作業を撮影した一枚。
私も学生時代、同様の仕事に従事していましたので、
懐かしいような、締めつけられるような思いです…。

何を製造しているかは不明ですが、
加工された何かは、作業工程を経た後、
何らかの商品として、世に出る、社会に出ることでしょう。

まだ私個人の中では、商品として認識できるレベルに至ってないのだけど、
恐らく、現段階である程度の実用性を伴っているのではないかと察します。
だとすれば、商品と認識できるか、できないかの境界線の上、
ベルトの上を移動中の図。




最後にご紹介するのは、
モルモットたちがわさわさ集まった様子をおさめた一枚。

動物園という場所は俯瞰する場所だと考えます。
格子やガラスで、人と動物とを物理的に隔てて、
安全性を高く、優位な状況でこそ成立する空間。

愛らしい外見に恵まれた彼らは、
生活空間、リズム、食事さえも管理されているということ。
生け簀の写真同様、冷静に置かれた立場をトレースすると、
私たちと管理された動物たちを隔てる境界線が見えてくる。


この場合の「見えてくる」も、
私個人の主観・評価に過ぎない。

おだやかな光景、鑑賞者の意識を変化させることで、
同時に変化する評価、変化のボーダーライン。
自らの内に何度も問いかける。

とても良い写真展でした。


山谷 利彦(やまや としひこ)
『見得ない線の上で』
2017.2.10 - 2017.2.12
EAST : 102 SPACE