Our Paintings



Kumi hidano/Haruna Takeyama/Mako Inagaki
Tadashi Miyakubo/Hinako Kumagai/Jun Nakahara 

『 Our Paintings 』
2016.4.1 - 2016.4.3

武蔵野美術大学油絵学科、有志6名による展覧会。
真っ直ぐな展示会タイトルの文字通り、
真正面から鑑賞者に立ちはだかる作品群。

※作品画像はクリックすると大きくなります


稲垣 真子

「3・11」
油彩、キャンバス


3と11の数字の組み合わせは、東日本大震災、あの時不穏な記憶を呼び起こす。
荒れ狂う波、飛び散る飛沫、どちらも行き場を失い、
やがて大地にまで侵出し、町や人を飲み込んだ。

それらの光景をあの日、私もテレビで確認しましたが、
そのエネルギー量に圧倒され、画面越しで、のみ込まれた。

自然に悪気があったわけではない。
しかし、圧倒的なエネルギーには暴力性を見てとれる。
同様に、本作には暴力性と言い換えることができるだけの熱量がある。
作家の力量だ。

そして、白波の向こう側に見える赤みがかった箇所。
「あの日を思い返せ」と迫る、ノスタルジックな夕日かもしれないし、
一つの出来事の終末を知らせる、灯火とも見てとれる。


「薔薇」
油彩、キャンバス


骨の在り処が明らかで、
その上に見事な肉付き。

まとめあげた長い髪と横顔だけを見ても、
彼女の女性としての魅力が明らかである。

宙を舞った立派な薔薇の花は、
景観として、また一部は装飾品の役割をも担い、
耳元を優雅に飾っている。

画面左手に描かれたイエローの薔薇の描写が大変素晴らしかった。
写真では伝えきれぬ、油彩の魅力。

熊谷 陽奈子

「潮」
油彩、キャンバス


画面いっぱいに描かれた小さな魚の群れと、
その影に隠れて、目元だけを露にした一匹の鯨。

彼らは、何を目的として、どこに向かうのか。
そして、潮の流れ、風の行方は如何に。

もし、巨大な体を持つ鯨が身を捻れば、水の流れは急変し、
小魚たちは自らの意思とは関係ない方向に投げ出されるだろう。

さて、描かれたのは穏やかな一瞬。

鯨と小魚、大海と鯨。
この世界における、大きさと広さがもたらす影響力は、
その大小に関わらず、平均化されている印象を受ける。

もし、この世界では、大きくても小さくても、
影響力に違いが無いとしたら、
小魚であっても、
潮の流れを変えることができるんじゃないだろうか。

そんな、優しい海の世界のことを考えた。


「集めて」
ミクストメディア


集める、という単語を見かけると、
沈黙博物館(小川洋子著) を思い出す。

なぜ、集めるのか。
なぜ、求めるのか。

時には、答えもなく、ひたすら集めることもあるだろう。

さて、ボックスに射止められた蝶のすぐ下には、
タイトル、採集日、原産の三項目が記録されている。

「咲いて、散って」日付:今日も 原産:どこかで
「ごめん」日付:2011.10 原産:中学校
「広がるさら地と雄大な海」日付:2012.8 原産:福島県いわき市

タイトルから察するに、これらの蝶たちは、
記憶と記録と感情の溜まりで産まれ育ったのではないだろうか。

視認可能・採集可能な身となった情報の集積である蝶たち。
泥水のように苦々しい記憶を啜り生きてきた蝶も多い。
しかし、一匹の蝶を見つけて安堵した、

「それでも前に進む」日付:2015.4 原産:武蔵野美術大学

蝶の身を射止めて飾る、その残酷にも見えるその行為は、
自らの過ちを悔いる、それに似ている。

肥田野 紅実

「秘めごと」
アクリル、キャンバス


見開かれた大きな瞳は、人形や子供のよう。
そこから私個人が感じる勝手な印象が三つある。

幼さ、純粋さ。
そして全てを見透かしているようで、
実は逆に見透かされていることに気付いていない、
未熟さ故の愚かさ、この三つ。

負の出来事に対する防御策を身につけていないことから、
全てを真正面から受け止めてしまう。
無鉄砲とも言い換えられるその姿勢からは、
私たちの「秘めごと」が了解を得ることなく、
一方的に暴かれてしまいそうな不安を覚える。

もっと単純に言い表すと、
彼女は理性のタガが外れている。
子供、知らないことの恐ろしさ。


「時空を超えたりんご」
油彩、キャンバス


かっこいいタイトルだなぁと素直に思う。
絵画作品の一部として描かれた三つのりんごは、
時空を超えて、次元を超えて、存在し得る。

スーパーに並んでいる林檎は、
暫くすれば、傷み、腐り、廃棄されてしまうが、
絵画は作品として存在する以上、
ずっと、新鮮なりんごとして生き続ける。

これはりんごに限った話ではないけど、
赤みを帯びた外見、果実、それらの要素が、
より生を代弁するに適したモチーフであると思う。

宮窪 直

「猿真似」
油彩、パネル


「人間、猿、犬」と三種類の生き物を描いた
絵画作品を出展されている宮窪さん。
本作「猿真似」は自撮り棒(セルカ棒)を手にした猿軍団と、
それを遠巻きに見つめるスキーヤーの構図。

説明不要の明瞭さが心地良い。

お口をあんぐり開けたり、手のひらでポージングしたり。
人間を猿に置き換えて、皮肉を交えつつ、
ど真ん中に豪速球を投げ込んでいるのに、
にやにやしちゃう、そのユーモアセンスの高さが、
皮肉をすんなり馴染ませることに貢献している。


「3回目」
油彩、パネル


グリッドをなぞって描かれたかのように、
冷静かつ慎重に描写された襖・障子、
そして犬(の下半身)
タイトルが事実なら、彼は反省しない常習犯である。

今、彼が突き破っているマスのすぐ左隣、
小さく破損しているのは、前回の被害の名残かもしれない。

そんなことを考えていると、どんどん想像は膨らんで、
「4回目、5回目、100回目...」
犬と飼い主の攻防の続きを見たくなってしまった。
微笑ましくて仕方が無い。

でも、恐らく、飼い主だって笑ってる。
勝手にそう思っちゃうんだから、間違いない、良い絵だ。


竹山 陽菜

「生きていた」
色鉛筆、画用紙


〜いたという言葉は(過去)を指し示す。
どれくらい昔の出来事か考えながら、作品を鑑賞する。
未だ自らが誕生してさえいない、太古の時代だろうか。

画面左下に集まったカラフルな物体に、
生命としての片鱗を見たりはするが、
明らかなる生命体を見つけることはできなかった。
もし、いたとして、答えを知らされても難しい。
恐らくそれは、形状の問題。

だとすると、形にとらわれることで、見失っているのかもしれない。
または、そもそも、ここにはいないのかもしれない。いたのだから。

対象の取り扱い方に心がぐらぐら揺れるけど、
その不安定さこそ、私たち人間の生きる原動力の一つ。

※続いてご紹介する作品も「形状」を強く意識させた。


「成長」
墨、アクリル、キャンバス


「猿人→猿人類→クロマニヨン人→現代人」
みたいな人類の進化の過程のイメージ画像、社会の教科書で見た。
毛深さ、骨格、顔つきまでも大きく変化することに、
進化という言葉が添えられている。

長い年月を必要とするが、再び、現在から長い時間を経て、
人類は異なる進化・成長を遂げる可能性は充分に存在する。

変化を成長と捉えるか、退化と捉えるか。
単純に顔の造形の変化で留めるか。

タイトルに考え方を縛られ続けることなく、
彼をもっと純粋に見続けたい。そうしてあげたい。
美的感覚なんて数年、下手したら数分程度で変化してしまうものだし、
もっと揺らぐことを素直に受け入れたい。

中原 純

巨木、現れる!
油彩、キャンバス


今年2月にもご出展頂いた中原さん<展示の様子はこちら
ぱっと作品を眺めただけで、中原さんの作品だって気付けて、嬉しかった。

理由を考えてみたが、要素が密集した部分の描き方、マチエール、
自然物を描写した際に見られる直線的要素らが印象深いのだと思う。

中原さんが描く情景には、どこか日常から剥離したドラマ性があって、
舞台鑑賞のように、作品を眺めてしまう。
舞台と内部に取り込まれたモチーフが書き割りみたいに、
「ありそうだけど...やっぱりない!」モノが大量に存在しているんだと思う。

「モノが大量に」この言葉から「ゴミ」という単語を思い浮かべる。
まだ使えそうな外見をしていても、使用に支障はなくとも、
新製品に買い替えたり、パーツが生産中止になったり、様々な理由から、
廃棄することに誰しも少しくらいは覚えがあるのではないか。

輪廻という救いの言葉を作ったのは人間だし、
廃棄するのは人間だし、森林を伐採するのも人間だし。

そんなことを考えていたら、
この身を切り刻まれているような傷みを感じた。
人っ子一人、描かれていないというのに。


「輪廻」
油彩、キャンバス


画面左下、半分くらい朽ちている樹木に向けて放たれた照明。
その光景、本当に日差しを受けているようで、
釘付けになった。

明らかなくらい一部が隆起していて、
キャンバスに本物の樹木を植え込んだんじゃないかって、
大袈裟ではなく、そう思った。
これは単純かつ素朴な感想として記述しているが、
後にタイトルを確認したときに、それで良かったんだと安心した。
先の「輪廻」もそうだけど、平面から三次元に顔をのぞかせる際、
どこまで見せようか・隠そうか?
そのバランス感覚が絶妙なんです。
これは特に現物をご覧頂きたかった。


と、皆様の作品をご紹介するにあたり、
長文になってしまったので、ここまでご覧頂いた皆様に御礼を申し上げつつ、
再び、Our Paintings、を拝見出来る、次の機会を楽しみにしていることを、
この場所に記述しておきたいと思います。


-最後に-
皆様の作品をどのように楽しんだのか?どう見えたのか?
を素直に記述させて頂きました。
批評とも感想ともちょっと違うかもしれませんが、
皆様の門出にちょこんと添えても違和感無いものであれば幸いです。
是非、今後も、末永く描き続けてくださいね。

(ぱんだ)

Kumi hidano/Haruna Takeyama/Mako Inagaki
Tadashi Miyakubo/Hinako Kumagai/Jun Nakahara
『Our Paintings』
会期:2016.4.1 - 2016.4.3