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使い捨てカメラの写真展



「 2014年7月富士フィルム映ルンです 400エクストラが生産終了というニュースを聞いて、
心にぽっかり穴が空いた感覚がして、よく分からないが使い捨てカメラで写真展をやろうと思い立った」
cho ongoさん


まだデジタルカメラもカメラ付き携帯電話も普及していない頃、
旅行の度に、コンビニで買い求めた使い捨てカメラ。

デジタルプリントと比較すると、
プリントの費用も手間もかかるけど、
だからこそ切り取れる愛おしい一瞬。

使い捨てカメラユーザーによる
使い捨てカメラの為の写真展。





cho ongo


カメラの存在に気付き、
カメラを意識した人々。

撮影する直前には
「じーこじーこ」とフィルムを巻く音を聞いたはず。

不思議だなと思う。
使い捨てカメラ、フィルムだからこそ、
被写体との距離が近いなんてことはないのに。

息遣いや空気の重みまで、
そして音まで、見えてくる。



こそね ともなり


撮影された写真のそれぞれは、
パーソナルスペースを考慮したかのように、
近すぎず、遠すぎず。





冷静な色味で仕上がったプリントは、
程よく熱を帯びている。
その熱源はヒトの存在であるように思う。

仕上がった作品もそうだけど、
この距離感が、鑑賞している私と近い感覚であり、
どこか親しみを感じてしまう。


Rurika Araki

人物は登場しない。

人物が今は不在の地を写した作品たち。

今グループの中で唯一、
ピン針で作品をお留めになっていました。





展示の仕方にも人となりは現れるし、
また作品にも影響を及ぼす。

写真の四隅には小さな穴が生まれ、
もひりりと感傷を呼び起こす。

その行為によって壁に固定された情景は、
当たり前の情景で、
二度と表れぬ情景。

だから敢えて、刺したのだ。
そう思いたい。


Tezuka Akiko


プリントのバックに敷かれたクリーム色の用紙。
ギャラリーの壁面から少し距離を置き、
よりその愛おしさを強調する。





彼女の作品を眺める際、
私は敢えて表面的に眺めていたと思う。

空、コップ、木、指。

具体的に指し示すことが出来る何かを、
私は彼女の作品から探そうと思ってはいなかったから。

何が起きたから
何が写っているから

そんな理由付けをする前から、
その作品全体を覆う滑らかな起伏と色合いが
魅力的であったからに違いない。



堀 隼基

部屋の中でバットを振ると
いろいろと危ない。

もし電灯が宙ぶらりんだったら、
かち割ってしまったに違いない。





外で振ればいい。

だけど中が良い。

タイトルも理由付けもなされない。
バットを持つ男性を写した11ショットだけが
事実とミスマッチが同居したその瞬間を知っていた。

編集無しの事実だ。



くろさわ あすか




彼女の作品はグループの中で最も際立っていた。
それは人肌の露出が最も多かったことが理由の一つ。

血が通い、皮膚で覆われており、
私達、人間が誰しも持ち合わせているもの。

それは大変、魅力的に映る。




作品中、最も好きな1ショット

歓楽街や街中を散歩した際に撮影されたらしき写真、
ラブホテルらしき施設、女友達とバスルームで騒ぐ様子を捉えた写真。

交互に並べても、違和感が無い。
ノイズとエロスは仲が良いのかもしれない。

加えて、極めて近距離でフラッシュを焚いたこと。
カメラを意識させず、撮影に成功したこと。

この二つは、映るもの全てをより鋭利に捉えた。



小泉 卓也


先にご紹介した「こそね」さんよりも、
より被写体に近づいて撮影している印象がある。

写真中央部、小さな花束を手に持った男性の表情が
とても良いなと思う。
こんな表情自分はできないな、という羨ましさ。





隣の校舎に友人の姿を見つけて、
ふとカメラを向けたらこんな写真が撮れた。

そんな理由であって欲しいと思う。

ふとこんな写真が撮れる日常に
生きているということ。



高橋 かほり


コントラスト強め。
ぱきっとしたカラーが記憶に残る。

一枚一枚が単体の作品としても機能する。

特に惹き付けられた作品を取り上げます。






一枚だけ上下反転状態で展示されていた。

校庭か、公園か。

少し奥に鮮やかな鉄棒の存在を確認。
逆さ状態で撮影したのかもしれない。

陽の光で地面はかき消されてしまい、
地面に降り立とうとしたら、
どこまでも飛んでいってしまうかもしれないよ。





この表情を、
ファインダーの中央部でしっかりと捉えた。

その行動に拍手、良い写真です。



ももいろさん




べっとりと手のひらに付着する血液と
赤いバックに裸体を晒すドールの対比。

人ではないモチーフを用いて
人の生死を写真で語っているような印象を受けた。




捉え違いだとしても、
その感想を留めておきたい。

死という現象は、
なかなか直接的には確認できないなと思うのです。

私事ですが、祖母が亡くなった際、
家の静けさに気付くことで、
やっと人の死に触れた気がしました。

様々なものは何かを介して伝わってきます。
彼女の作品は、その担い手になり得ていると。





...と気付けば長文になってしまいました。

私も旅行の際には未だに使い捨てカメラを持ち歩いています。
軽くてコンパクトなその佇まいも好きですが、
取り直せない。
取り戻せない。

そんな物事を大切にする気持ちを
不思議と呼び起こしてくれる。

使い捨てカメラ。

さぁ、久しぶりに手にしてみませんか。


使い捨てカメラユーザー 
『使い捨てカメラの写真展』
会期:2014.11.22 - 2014.11.24

(ぱんだ)