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目蓋の裏側へ



眠る前の出来事。

起きているのか、眠っているのかわからない。
まどろんで、寝る為の準備を、明日に意識を橋渡しする時間を、
さつかわゆん氏は取り上げた。

個展「 おはようまでおやすみ 」






現実そのものが架空なのではないか、と彼女は提案する。


「 夢や空想を描きたい訳ではない。
 自身が描く世界は、架空ではない。 」


知覚し、信じることで、対象は確かな存在を得る。

今展示会に触れるということは、目の前にある現実/当たり前を疑う旅。
目に見えない、知り得ないものを創造する旅になる。

セクション毎に作品をご紹介致しましょう。




真っ暗な部屋に点在する、
正方形(100mm×100mm)のMDF板に描かれた30枚の遠い情景

「絵画は舞台。全ては舞台。全てはサーカスの一部。全ては作り物」

彼女の呟きが体現された作品たちは、5mm程の黒枠に囲われている。
この黒枠は、一つの境界線であり、一つの枠組みの象徴。

「入れ子」という言葉を念頭に置きながら、
この世界に視線と意識を注いで欲しい。


" 晴天 "


作品下部に見える、家や工場や煙突
上部には建築物を遥かに凌駕する大きさの窓
窓があるということは、背景の黒はより大きい家の壁面。

家の中に家を入れる。
事象を、絵で、言葉で形にする。

これをきっかけに私たちは、新しい創造を始めることができる。

モチーフの前後位置関係を把握し、入れ子の存在を受け入れた瞬間に、
下部の建築物はしゅんと縮み、小さなマスコットにも見えてくる。
囁き声さえも聞こえてきそう。

家や町は生きていて、
皆で仲良く窓の外の風景を見上げている。


" ある象の長い夢 "

" 水晶に住む "


入れ子の存在を意識すると、対象/モチーフのスケール感が揺らぐ。
自分の常識、目で見える常識を疑い出してしまう。

すると時間の問題。
目に見える情景の輝きさえも、正しいとか創造だとか、
判断が危うくなっていく。
正常、異常の話ではない。可能性の話。

この鑑賞者の内部で行われる真偽、葛藤の終わりに、
やっと私の中で定着する、私だけの情景。


" 明るい生活 "


「生活」さえも瓶詰めにする。

緑色の芝生の上に置かれた瓶の中に、
球面の大地と強く光る星や月。

これらを俯瞰する立場から鑑賞してみると、
頭上の風景と家との距離をとても近くに感じませんか?
この距離、現実という視点から眺めれば不一致だけど、
貴方さえ受け入れることができたのならば、現実のものとなる。

この差異、コラージュのように階層を意識させるものでなく、
フラットな一枚の絵画として表現させている点は特筆すべきことであると思う。


" こどものこども "


上部にはパープル色のカーテンの裾があるのだけど、
私には暗雲立ちこめる図、とも捉えられる。
誰もが「危険」を意識する(グレー/イエロー)配色だからかもしれない。

不穏な空気の中に居る、まるっこい生き物
…の中にいる無数のまるっこい生き物(通称 "かわいい生き物" とのこと)

彼は沢山の命を宿している。
お腹の中、緑色の羊水の中、気泡の中に宿された、
親をそのまま縮小した姿の子ども。

命の入れ子。


" 記憶の指輪 "


「小さな頃、宝石のチラシを集めていて、切り取っては宝物入れにしまっていた」
その頃の気持ちを取り戻すきっかけとして「記憶の指輪」は制作されました。

お金を持っていないから手に入らなくて、
手に入らないから代用品を求めた。

この気持ちを、何年も、何十年も、
制作を通じて、作品を通じて、遡って、彼女は手に入れることが出来た。

その結晶と言うべき作品。

※「記憶の指輪」は展示会場でもお買い求め頂けますが、
ラフォーレ原宿 B0.5F に位置するDahlia(ダリア)でもお取り扱いがございます。



「記憶の指輪」の横にあって、
一つ一つ、丁寧に箱入れされているもの。

海辺で拾った小石や木々や貝やガラス。

波でなめられて心地よい手触りになって、
波や風によって岸辺に打ち上げられた、
時には、ゴミとも呼ばれてしまう物達。

宝石以上に不格好で、一般には価値を持たないものだって、
私たちとっては、愛しいものになる。

「なんでもないものを大切にする気持ちを大切にしたい」
作家の想いに満ちた部屋。


" 世界のはしっこが映るペンダント "


「これは最果ての景色」だと彼女は言う。


かつて平面説が唱えられ、球体説が唱えられ、そして楕円体であると確認された、地球。

平面だと思っていた頃は、地上の端は崖になってる!とか
球体だと思っていた頃は、重力を認識していなかった頃は、宇宙に落ちてしまう!とか。

今では笑ってしまうことだって、人々は真面目に考えていた。


人類誕生から今この瞬間まで常識は何度も覆され続けてきた。
現実とは当たり前に内包された世界のことなのかもしれない。


ペンダントが望遠鏡になるならば、
「この世界における最果て」が見える。
個々のペンダントを固有の星だと信じるならば、
「私の知らない星における、当たり前の景色」に変わる。

無数のアートピースがここにある。


" 世界たち "


連れ泳ぐ二匹のマッコウクジラは、子育ての最中のようだ。
黒い背景は空気で満たされているのか、水で、海水で、ガス、で満たされているのか。
どちらにせよ、巨大なクジラの身体は浮いている。

そのクジラの身体は透けていて、星々を宇宙を覗かせている。
宇宙を内包するクジラ二匹には、異なる二つの宇宙が与えられている。
広大な宇宙が、全長十数メートルのマッコウクジラの内にある構図。

視野を広げよう。

作品下部、ライトアップされて露になったクジラと宇宙の舞台。
その後ろに見え隠れする、カーテン。

どこまでも、どこまでも、広げよう。
そして注視しよう。


" 世界たち " ( 近接写真 )


スペースにはハンドライトが準備されていて、
作品をライトで照らしながら鑑賞することも出来ます。
微かな光だけでは見る事が出来なかった、
クジラの隆起した肌、表皮に浮かぶ星間ガス、マチエール、グラデーションを
見つけることが、できる。

与えられだけ、受け取るだけでは届かない。
受け取ろう、見つけようとして、
やっと見つけることができる。
そのきっかけを見つけることができる部屋。


映像作品 " ohayoumadeoyasumi " と さつかわゆん氏

絵画作品のモチーフとしても使用されている
自身で創造した馬やクジラと、現実世界の風景を交互に組み込んだ映像作品。
プロジェクターで投影された像は、湖の形に切り取られている。

映像の最後、真っ白な映像の中に映った窓が開く。
二つの世界を隔てていた境界線が取り払われて、
想像と現実とが繋がる瞬間である。

私達は自由に行き来できるようになったのだ。

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あくまで現実を生きつつ、それは本当に現実なのか?
いつも、当たり前を疑って欲しい。

今展示を通じ、現実だけを見ることなく、想像力を取り戻すきっかけになって欲しい。
彼女はそう願っている。

言葉の呪縛を、壁を取り払えば、
創造の世界はどこまでだって広がる。


眠る前に目を閉じて、瞼の裏側に浮かぶ情景。

「おはようまでおやすみ」


8/20(火) 最終日17時までの公開です。


(ぱんだ)