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廃墟写真 ふたり展 / 揺


WEST : 1-D
廃墟写真 ふたり展『廃光・解光』

"いつの時代も変わらぬ光が差し込む場所。
人に作られ、人に忘れられた場所の変化する空気を表現します。"


揺さん、千さんのお二人による写真展。

本日は、揺(yura)さんの作品をご紹介したいと思います。



廃墟と呼ばれる場所。
その場所は、かつて、人気を帯びていたはずなのです。

メリーゴーランド、人の手により作られた堅い馬の背に乗って、
笑顔を振りまく子供たちが居た場所。
家族連れ、カップル、友人同士、一人。
見知らぬ誰かがそこに、かつて、居た。

そして居なくなってしまった。
人が立ち止まる為に、憩う為に設けられた場所は、
自らの役目を見失ってしまった。


廃校と捉えるのか、
それとも、とある風景と捉えるのか。

僕は後者。
部屋の中央の床に負担がかかっていたのでしょう。
亀裂から始まって、穴となるまで、
床板に雨水、湿気が染み込んで、腐り、やがて草が生えるまで、
それぞれの時間経過を想像してしまう。

人々がこの場所を忘れた後も、
多分、この場所は放心状態で、新たな役目を探っていたのではないでしょうか。
そして、見つけた次なる彼らの役目は、
この場所を守り続けること。


手入れをしないと、人工物の劣化は早まります。
この場所は何時頃まで、人の手が添えられていたのだろう。

廃墟写真を見ていると、物質にも生が宿っているのではないかと思う瞬間があります。

私たちは古いものに対して「味がある」とか「ビンテージ」だとか
ほころびの中に心地良い感触を感じたりします。

廃墟写真の中にあるのは心地良いひんやり感。
その冷たさの理由は、ただ温度が低いというよりも、
喪失感による悲しさがそうさせる。



地球、宇宙の誕生に比べれば、
この場所が出来上がってから朽ちるまでの一瞬など身動きも取れないでしょう。

変わらない日の光が差し込む場所。

かつてのこの場所を知っている人がこの写真を見たら、
どういう思いなんだろう。

なんとなくだけど、
「相変わらずだなぁ」
と、呟くんじゃないかなって思います。



スペース内に展示してある作品は購入可能です。

先ほど、ゴツいカメラを肩に下げて熱心に作品を鑑賞されていた男性が、
写真を四枚購入されていました。
近くのテーブルの上には廃墟写真を取りまとめたブックがございます。

ご来館の際はこちらもチェックください。


僕は熱心な廃墟写真好き、というわけではないのですが。
休日、ふと、ネットなんかで廃墟探索の写真を探しまわったりします。

あの魅力はなんだろうと思う。
やはり、ほろこび、喪失感が充満しているところか。
それとも、失うことの愛おしさを実感しているからなのか。


※明日、明後日は、揺さんは終日在廊されるとのことです。
加えて明日から、千さんの作品が公開となります。


[ 展示期間: 10/14(fri) - 10/16(sun)  ]

(ぱんだ)