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少女ランドリー


ノダハルカさん、マンダイトシエさん、ワカスギユミさん。
三人の女性と作品とが暖め、育て、作り上げた空間、「少女ランドリー」

とうとう、本日が最終日。
来館出来なかった方にも向けて、作品を多めにご紹介したいと思います。


マンダイトシエさんの作品です。
初日に三作品が売れてしまい、期間中に作品が入れ替わってしまい、
この光景は最終日の光景です。

動物、生物を描写しているマンダイさん。


作品を見回して気付いたこと。
それは、動物達の生命力が表情にではなく、
手、足、爪、翼に注ぎ込まれているという点でした。

日々の糧を求め、その脚で探し回り、やっと見つけた獲物を、
彼らはその爪で捕え、射止める。
生命活動を循環させる為の行動/手段です。


彼らは人間のように喜怒哀楽の表情を使い分けることはないでしょう。
そして、それが人間ならではの視点なことに気づきました。

僕が知らないだけなのかもしれませんが、快楽で狩りを行う動物は
そういないのではないでしょうか。

マンダイさんの描画行為は動物達を
生物達の営み、生きるという純粋なる生命活動に真正面から注視して、
キャンバスという籠の中に閉じ込めるという行為にも見えてきます。

だからなのかな。
とても眩しかったのです。


ワカスギユミさんの作品です。

マンダイさんの作品横に並び、配色の鮮やかさが際だちます。
コンパクトな作品が多いので、作品に近づいてみましょう。


引いて作品を観賞してから、作品に近づいたとき、
随所に配置された小石のような白が目につきました。

滲んだ大気、背景の中で白がとてもとても眩い。
何も描いていない空白よりもそれは眩い。

それは白の存在を観ている人へ伝える白。



期間中に売れてしまったこちらの作品。
呼吸、吐息。
もう、この一枚を観るだけで、説明はいらないと思うのです。

また、距離を取って描いた風景画(最初の写真)
ぽんぽんと置かれた色は、
階段を描いておりました。

感覚の中に見える、確かな感触がありました。

そして、それは近づかなければ見えないくらいに、
優しく積み重ねられているのです。

息を吐き終えてでも、頭の中をからっぽにしてでも、
その身を軽くしてからでないと乗れないような、あしがかりに乗って。


ノダハルカさんの作品です。
彼女の作品は確かな形を持たず、絶えず変化/可能性を孕んでいます。

人間なのか人造なのか。
物語の中とハルカさんの脳裏に映るストーリー。
僕は物語のてがかりを絵からタイトルからキャンバスの側面から伺います。

残念なのは言葉に表すならばとめどない文章量が必要な為、
ここでは描き終えられないということ。
その一端を綴ります。


ハルカさんの物語は当たり前のようにありえない世界。
メルヘンでもあるし、時にはグロテスクな片鱗も見える。
少女がメスを片手に世界の地面の腹をさばいて、
物語の舞台の肉をさらけ出す。

先ほどの作品にも登場した、サインポールを思わせる配色。
動脈、静脈、包帯が多くのサインポールのそれですが、
青=動脈はここでは紫、交じり合いの果てのように。

物語の心臓は彼女たち。
物語を続ける為に、血を送る。

臓器という普段見えない部分が可視化されて、
血肉が露わになっても物語は続く、進む。



僕は彼女の描く物語に対面し、物語に意識を放り込む。
キャンバスの中でその空気を吸い込みながら、散策をする。
散らばる素材を拾い上げ、物語を自分自身で育てていく。

その行為が楽しくて楽しくて仕方が無いのです。
だってその行為が、彼女の絵では許されるのですから。

絵の中の少女達は背を向けていたとしても、
私達の意識の介入を排除しないし、何も言わないのです。
それが幸せで、幸せで。


展示期間は終了してしまいますが、
是非とも下記のホームページでこの体験をして頂けたらと思うのです。

そこから見える体験の全ては貴方のものです。



展示を通し、三人とも作品が旅立っていきました。
僕も三点、ハルカさんの作品を購入しました。

この展示から拾い上げてくれた沢山の経験と想いを抱えて、
次に生まれるであろう作品を楽しみにしたいと思います。

一週間、ほんとうにお疲れ様でした。

(ぱんだ)