平原千文美『写真の構造分析』
平原千文美『写真の構造分析』
2019.3.6-2019.3.8
[EAST T-1,304]
"写真は技術でも、芸術でもなく、魔術である。"
写真の構造を、その表層や意義、そして在り方を紐解いていく試みを行なっている本展。
そこには「そこに在る景色の瞬間の記録」という役割以上の意義が感じられました。
分析にあたって、平原さんは写真に内包された性質を大きく3つに分類しています。
1)吸収と離散
“撮る行為によって私たちは世界に吸収されている。
しかし撮る行為には必ず私たちの視点が存在しており、世界から分離している。”
2)瞬間と連続
“撮る行為は所謂「瞬間」を切り取る行為である。
しかし撮る行為には必ず前後の時間が内包されているため、
時間の連続性を示すともいえる。”
3)事実と感情の現象
“撮る行為自体は事実そのものを写す行為であり、それ以上でもそれ以下でもない。
しかし撮る行為によって私たちはそれを「思い出す」ことができる点において、
当時の感情そのものを写しているともいえる。”
今回、平原さんが提示した3つの現象。
特に「吸収と離散」のフェーズから「事実と感情の現象」までの間の被写体の変化について、
感情の具象化と抽象化が同時に行われていると感じました。
キャプションにはデカルトの有名な一説のオマージュ表現がありましたが、
自身と世界を繋ぐ方法として、最も具体的な表現技法のひとつが写真であると考えさせられます。
また、撮影者は感情を写真に収める際、具体的なものではなくよりミニマルな表現を用いる傾向にあるということも非常にわかりやすい。
ひとつのスペースにコンパクトにわかりやすく、しかし理知的で美しい空間でもって表現されています。
さらに平原さんはトイレスペースでも分析を展開。
304スペースにて展示されていた作品を、さらに「変容」させるという。
こちらでは手を洗って濡れた手で、紙に印刷された写真を触り、画像を変容させていく作業を体験できます。
これは写真という「記録」が変わっても、個人の「記憶」は色褪せることはなく、
逆に「記録」が変わらなくても「記憶」が変わってしまうことがある、という現象を
画像を変容させることで印象付ける実験的な試みだという。
確かに、記憶は記録と強固に結びついている反面、非常に移ろいやすいものでもあります。
これまでの人生で自分自身が歩んできた「記憶」は、「記録」と同一のものなのか、
はたまた何かのきっかけでじわじわと記憶は変容してしまっているのかもしれません。
写真と真正面から向き合った平原千文美さんの個展は3/8(金)まで。
「存在すること」と「生きている」ことを、写真を通して分析的に表現されている、理知的で哲学的な見応えのある展示です。
是非足を運んでみてはいかがでしょうか。
<スペース詳細はこちら>
[EAST T-1]
[EAST 304]
staff kome