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シバミノル 『ふたご の ほし』


 " 誰かと時間を共有している時 本当にその相手と過ごしているのか
自分だけを見つめていないか 自分にだけ耳を傾けていないか

頭の中でそんな不安をぐるぐるさせ、双子のような2人が
身体の何処かをつなげている絵をたくさん描いた。

「共感ごっこ」をする双子のようなふたり。
それは双子か友達か それとも 自分か。 "


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シバミノルさんの個展、EAST:304 にて開催中です。

会期も中頃となりましたので、作品を一部ご紹介したいと思います。


「 おそろいのきもち 」

細部を見れば違いはあるのだけど、おおまかなディティール、ポーズは似通っている。
二人は肩の辺りから結合し、一人になろうとして。

外見は結合双生児だけど、それはコンセプトを強調付ける為の工夫にとどまっています。
あくまで他人、または双子の枠の中で作品を泳がせたいのでしょう。

隣り合う彼女たちは脳波を真横に飛ばして、
自身の想いを伝え、相手の意見をかき乱し、美味しい情報だけを咀嚼する。
お揃いってのはなんだっけ。

道端で上半身から足先までお揃いの衣類に身をつつむ、友達同士、カップル同士。
ねぇ、そのお揃いは何の為なのだ。
偶然の結果であるのか。
逃げられないように縛り付ける鎖ではないのか。

顔を隠して、何を隠すのか、後ろめたいのか。


弱みを大きくさらして、とても無防備な彼女たち。


「 ゆうれい 」

タイトルがひらがなで綴られたからだと思うのです。
そこで恐怖を感じなかった。
実体が無い、もしくはおぼろげで、主体が残像のように揺れ動く。

一つが二つになったようにも見えたって、
僕にはどうやったって、どこまでも一つでしかない

おぼろげな存在が分裂のまねごと
それは精神状態の表出


気味が悪いことの連続なのにやさしい。

それはシバさん自身の表れでもありましょう。


「 カッコウシリーズ 」

「 鉄塔 」

彼女の魅力の一つだと思います。
無機物がほんのすこしだけ、やわらかくなる。

氷を常温で放置すると、尖りが僅かに小さくなる感じ。
試しに口にふくんでみようかな?なんて思ってしまう。

冷たいんだろうなぁ。

明る過ぎず、暗過ぎず。
ちょっとダウナーな場所で、ぴくぴく身動きをとる、静観。


" 頭の中でこねくり回した「弱点」を吐き出し
対峙するために「絵」を描いています "

それは「弱点」だから優しいのか。
曝け出されたものは悲痛で非力だから観賞しやすいのか。


薔薇の花の棘はとても美しいなと思う。

強く握りしめたら痛いけど。
観賞するだけならば、あんなにわかりやすい武器を構えて、
怯えているようにしか見えない。
弱点を必死にひた隠しにして、強がって。




自分の弱みを知ること

それは強くなる為の準備です。
でも、弱みを羅列するだけでは何ももたらさない。

弱みは自身の恥部であります。

恥部をただ晒け出すだけならば、
マゾか悲劇のヒロインでしかありません。
誇らしいことなんて何も無い、品の無い行為です。





それでもシバさんの作品が美しく見えるのは、
恥部/弱点の嘆きにそっと耳を傾けて、
両手で抱きかかえてくれる優しさがあるからに他ならないのです。

作品が自己投影であるならば自傷
制作が産む行為であるならば虐待

痛みを越えて、生まれてくる作品たちをとても愛おしく感じました。

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こちらのお部屋は、和室/畳のお部屋。
様々な想いから、あえて、この場所を展示場所に選びました。

それは上記、展示コンセプト文にも通ずるものであります。

畳の部屋、靴を脱がなければ入れない。一つの境界。
定型のホワイトキューブを避ける。もう一つの境界。

作品たちにとって居心地の良い場所。
それは観者にとって都合の悪い場合もあります。
靴を脱ぎ、畳の軟さを足で感じ、照明の照り返しの少ない砂壁に囲まれた絵を見る。

その手間を経たからこそ、手に入る、そして見えてくる情景があります。


展示期間は 3/31(Sat)   まで

腰を下ろして、ご自身の弱さを見つめてみて欲しい。
すぐには出てこないと思います。
それ程までに、純情な感情のプールです。


(ぱんだ)