姜蓮花、野中美里
『世界があまりにもカラフルだから、』
2017.1.15-2017.1.17
at EAST 301
朝鮮大学校研究院予科に在学中の姜蓮花さん、武蔵野美術大学油絵学科油絵専攻に在学中の野中美里さんによる二人展『せかいがあまりにもカラフルだから、』がEAST301にて開催されました。
会期が3日間ということが惜しいと思うほど、濃密な二人の世界観が部屋いっぱいに広がる絵画展です。
野中 美里
「死んでいるものには色がない」。
過去に水死体を見た経験からそのうよな感覚を持っていた野中さんは、
「色」とは「生」を象徴するものと捉えているそう。
だからこそ、作品には生を吹き込まれたかのように多様な色が使われています。
野中 美里
生と死を隔てるもの。
それが「色」の有無なのだとしたら、野中さんの作品は命を讃え、力強く生を謳歌せんとする、まさしく生きている証と言えるのかもしれません。
色が与えられた無数の線が入り乱れて画面を覆い尽くし、風景が重層的に浮かび上がってきます。
人も風景も生きて日々その形を変えていく。止まったままの情景がフレームの中で動き出しそうなくらいの躍動感が、そんな時間の流れを表現しています。
姜 蓮花
姜蓮花さんが作品のモチーフとして選んだのは「名前」。
以下、展示会場のステートメントの一部を引用します。
彼女は「名前」によって親の願いという枠組みに自分が縛り付けられているのではないか、と考えています。彼女の制作は、名前を分解し再構成することで、人に指定された既存のカラーコードから自身を開放し、今一度、「自身が何色であるか」を見極めんとする一歩なのです。
「名は体を表す」と言う言葉があるということからも分かる通り、人、物、色、それらに付与された「名前」は、言語を以てその姿形を表現しています。
名前を付けるとういことは定義付けをする、記号化をするということであり、それは無色透明な物に色を与えるということでもあります。
例えば絵でも写真でも、具体性のあるタイトルを付けるということは鑑賞者にとって絵の解釈の一助となる一方、恣意的に意味をねじ曲げるかもしれないという危険性も孕んでいる。
それを一人の人間に置き換えればまさしく、「親の願いという枠組みに自分が縛り付けられている」という彼女の考えに繋がります。
姜 蓮花
姜さんの制作のベースにある「名前を分解し再構築する」という一連のプロセスがこの絵に表現されています。
一見するとブツ切りにされた抽象的な図形を繋ぎ合わせたかのようですが、注意深く見てみると文字のようなものが浮かび上がってきます。
ある人物の人となりを構成する記号的要素——名前、性別、身なり、年齢など、言葉で表したそれらを分解して再構築し、そのままでは見えてこないであろう新たなイメージを紡ぎ出しています。
確かな制作コンセプトに裏打ちされた両名の作品はとても見応え十分でした。
今後の活躍に期待大です。
【展示スペース:EAST 301】
written by isaka