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はつみとはぎるぇ



" 大人になるから、もう今までの私は連れて行けないけれど、
いつか、ここに帰ってくるね
私は私を愛することができるように
おまじないをかける "

はつみ(twitter @hatsumiwa_)
はぎるぇ(twitter @___hagire)

2013年、お二人はDFGにてそれぞれ展示会を催され、
主に絵画作品を展示されていたが。
一点し、今回は一部屋まるごと、インスタレーションである。

身を以て、想いを伝えるべく。





4.8㎡の空間はご覧の有様である。
衣類や記事、写真、絵画。
あらゆるものが部屋に括り付けられている。

強烈な空間に対し、来場される皆様が恐る恐る空間内を覗き込む様を
展示期間三日間、作家の二人は、多々目にしたという。

その「強烈」なる理由は、
空間を物理的に支配する物質。
多くを占めるのは服である。




2000年代から登場し出した「ファストファッション」という言葉。
安価かつ容易に服が手に入る環境が整え始められた。

耐久性や素材らの観点を無視し、
外見だけを着飾るので良ければ。

しかし、数十年前に遡れば、
「服」という存在は大変高価なものであったはず。
悩んで悩んで購入したそれらを、長い月日肌に合わせて、
生きてきたはずなのだ。

使用していく内に油や汗で汚れたり、
虫に食われて穴があいたり、匂いが染み付いたり。

記憶、匂い、思い出、汚れ。

服という存在に付着した情報の全てが
「強烈」の中身である。




会場に入るという行為は、
ここでは呑まれるという言葉が適切だなと思った。

強烈なものたちの横には、
絵画作品の数々が飾られている。

この点を説明する為にも、
過去の展示会の記事を参照頂きたい。




はつみさん、はぎるぇさん。
過去より、共に少女性を強く意識した作品を制作されていました。
(ここであげる「少女性」といってもひとくくりにできるものではないけども)

私達は、二十歳という節目に『おとな』と呼ばれる。
なら、二十歳を越えてもなお「少女性」を追い求めるならば、
その行為は現実との逆行を続け行く行為になるのではないか。

心と身体。

色んなものが成長し、同時に老いていく。

この現象を自分の身体から直接離れて、
物質で/作品で直視をする機会である。




展示会場の至る所に貼られた写真。
これは、ご自宅から持ち込まれたはつみさんの家族写真。
複製などではなく、アルバムから引き抜いた、本物の家族写真。

自分が心も身体も少女であった頃を、
他者の目線から記録した写真ほど、
今回のテーマを語る為の、最適な素材はないと思う。




「今のわたし」が「昔のわたし」を作品で語る。


知ってしまったら、


今の自分を形作るものを知ったら、
そう、もう今までの私は連れて行けない。
刻一刻と私は私から遠ざかる。




私個人がネットで見つけた印象的な言葉があって

" 大人になってから分かったこと "


「大人なんていなかった」


この一文が焼き付いています。

大人には「なる/ならない」じゃなくて、
「思う/思わない」だけなのかもしれない。




記事の最後にご紹介するのは、
お二人の作家、そして衣装である。

まずは、はぎるぇさんの紹介。

お二方ともこの「過去の連なり」を身を包み、
会場に在廊されていました。




前後左右、隙はありません。
服が服を構成する一部分に成り代わり、
彼女達を包み、外部環境より身を守る。

(背景も存在感も相当なものである)




続いてご紹介するのは、はつみさん。

展示会DMにモデルとして写られていた際と同様、
ヘッドウェアを下ろして、目隠し状態で撮影。




女性用のショーツが彼女ヒップ部分にかかっている。
各衣類は誕生当初に与えられた目的を忘れてしまったのだ。

あれ、私達は昔、何だったんだっけ?
シャツと呼ばれていた気がするけど、
今は腰巻きとして生きている。

そう、ぼやいているかもしれない。




ご自身が時間をかけて向き合っていたテーマを、
二人で咀嚼して、全く別の物にして、アウトプット=展示なされた。
はつみさん、はぎるぇさん。

物質に付随する過去の連なり。
私達に付随する過去の連なり。

この二つのレイヤーが見事に統合されていた。

直接私達に触れる服というモチーフを取り扱い、
身を以て、想いを伝えるべく行われた


『 大人になろうと思った日 』


さぁ、私達は自分を大人と呼べるのだろうか。


(ぱんだ)