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芸術の可能性を


2012年11月16日(金) - 2012年11月18日(日)にかけて
EAST:204 で開催されました 腹黒×人見知り展 をご紹介致します。
ご紹介が遅れてしまい申し訳ございません。



腹黒ピカソ氏 / 人見知りはむはむ氏
共に1991年生まれの若きアーティストで御座います。

記念すべき二人展の会場は、キッチン設備が備え付けられた場所。
決してフラットな展示空間ではない、その凹凸に興味を抱かれたご様子。



後ほど細かくご紹介しますが、
調理器具/電化製品をも蹂躙するかのように作品が鎮座しています。
ただ置かれているだけだというのに、
場所が浸食されていくようだ。



腹黒ピカソ
" 3つの部屋 "

赤青黄の三色を起点に絵画作品を制作している腹黒ピカソ氏。
彼女の作品は、具体性と抽象性の揺らぎの中にあります。
実世界に存在し得るものを、キャンバス内(虚構世界)に持ち込み、構築する。
恐らく、具体/抽象の2者の関連性はそれほど重要視されてはいない。
もっと単純に。
芸術に/絵の具に 全幅の信頼を寄せているのではないか。
だからこそ、抽象的な状態で描き終えられた作品が、
今にも爆発しそうに、くすぶっているのだと。



" 肉体ト精神ノ展界図 "

展開図 ≠ 展界図
図ではなく、彼らの世界が開かれる。

ちょっとした隙間に手足をねじ込んで、
目を離した隙に、彼女の肉体と精神の精製物である彼らが。




そんな彼らが、今回はキッチンスペースの至る所で息を潜めているのです。
ひんやりと冷える冷蔵庫の中。
レンジの中でも耐えられるように、と陶器の作品。
棚の上に小さなイーゼルを携えて。

バリエーションに富んだ展示方法は、
彼らの生活を覗き込むかのようでした。

その点からも、今なお彼女の作品は呼吸し、
生きているのだと確認出来る。



人見知りはむはむ
" いつかトイレで "
キャンバス/アクリル絵具/ボンド/コピー用紙
トイレットペーパー/コースパミスゲル/ゲルメディウム

一目見て「どうしよう」と思わせる作品。
真っ向から混乱の魔法をかけてくる。

果たして、はむはむ氏は、この作品を制御出来ているのだろうか?
自我を持った作品が一人歩きし、作家をも手玉にとり、
この場所に存在している可能性はあるのか?
彼女にとって作品制作はどんな行為に成り代わるのか?
彼女が生み出した作品は何に成り代わるのか?
謎が謎を呼んで迷宮入り。



" こんなはずではなかった "

皮膚が、頭皮が、乳房が、女性器が、空間が、うっ血している。
その血だまりも熟し過ぎて、仕舞には血液が表面にまで現れているではないか。

伝う血液は、とても鮮やかで、美しい。
恐らく、彼女が抱く幻想と現実との軋轢によって絞り出された
感情の残滓が合流し、この色を醸し出しているのでしょう。


豊満なバストと陰部の描写から、
ある程度成熟した女性にまつわるコンセプトであるように伺えます。
また、未成年の頃。
肉体も精神もまだ未熟だった頃と現在とを対比させ、
自らを戒める機会にと、制作されたようにも思える。

と書いたとしても、どのようなプロセスを経て生まれたのか?など
これまた、あまり重要ではない気がします。



ちょっと抜けた作家名に不似合いな作品群であることは明確で。
(それは勿論、褒め言葉であることは言うまでもなく)

ラフさが暴力にそのまま直結しているとは思わない。
作家名に含まれた「人見知り」という語句を元にするならば、
周囲に余り目を向けず、より狭い射程距離内においてのみ、
自我を開放させて、荒れ狂った跡。
結果論としての作品群がここに残っているのではないか。



「キャンバスに絵具を塗るだけで」
「キャンバスに何かを貼付けるだけで」

キャンバスはキャンバスではない何かに変貌を遂げる。
そんな芸術の可能性を信じ、身を委ねる二人の作家の今を伝える展示会でした。

言葉でその真意を探るなんて野暮なこと。
制作された作品と対峙、作品自体が持つエネルギーを身に受けて、
各々が評価を下せばいい。

そのまま突き進んで行って欲しいお二人。
どうぞ深みまで、

(ぱんだ)