" 胎動 "
WEST : ART POCKET
胎動、それは生命誕生を知らせる鐘の音。
確かにそこにあるのだと、周囲に知らせる為の。
自己主張の塊。
殻は砕け、既に身は溢れ出してしまった。
どこまでも荒々しい、胎動。
---
ムラセマナブさんの写真/立体作品展。
写真と立体を駆使して、創造を形にしようともがく、
その軌跡がここにあります。
" 終焉 "
胎動と比較するとその差異は大きい。
破裂するかのように、破片は砕け散り、
身も皿の上に伸び広がっている。
その様を「終焉」と呼ぶならば、
もう一つの出来事が終わりを告げたのでしょう。
生命の終わり、食物としての終わり。
何を当てはめればいいのか迷うけども、
私は、透明な感覚が霧散し、消えていったのだと思う。
" 160kcal "
砕いたアボガドのカロリー数がそれであるのか。
食物の名前でなく、エネルギー量を表示されてしまった。
私たちは米、パン、肉、魚を食べる。
同時に、タンパク質、糖分、脂質を摂取している。
厳密に言うならば、僕らはカロリー(熱量)を 摂取することで、
生命活動を維持しているのです。
今日生きる為には〜kcalを
明日生きる為には〜kcalを
何を食べたか?は嗜好や娯楽の為であり、
外皮を削いだら、こうなるのです。
" 1+1=16 "
数えました、皿の上には16個に砕けたクッキーがあった。
クッキーは二色確認できるから、
2種計2枚のクッキーを砕いて、総計が16個なのでしょう。
"16" という答えを提案したのは、
皿であり、フレームであり、私たち。
1+1 は何故 2 になるのか?
形が異なっても同じく"1"と換算していいものなのか?
+(足す)という行為はそう簡単に行なえるものなのか?
大学時代、モラトリアムにまみれた季節によく考えたものです。
結局それは暇つぶしで終わってしまったのだけど、
単純な事柄こそ、深みにはまりやすい。
そして抜け出しにくいから、楽しい。
" 俗説に罰を / Desolate "
何十本、何メーターもの針金が絡み合い出来上がった塔。
玉座に居るのは林檎。
表面は滑らかなのに、先端は鋭利である針金。
その攻撃力は外部の侵入に対抗する為ではありませんでした。
逃がさぬように、林檎の果肉を貫いて、自由を奪う。
作られた穴からは果汁が染み出す。
肉体ならば赤い血が滴るだろうに。
それは、ピアスの穴を作り出す感覚に似ている。
痛みを与えるのだから、そこに優しさなど無いと思ってしまうのだけど。
その刺激にではなく、行為の先にぶら下がる目的に着目すべきなのです。
痛みを与えてまで、彼を縛り付ける意味を。
どこから眺めようと、逃げ道はありはしないけど
さて、今回も作品を落とし込んだグッズを販売しております。
ポストカード、ストラップ等など。
毎回、グッズも新規に作られて、展示もコンスタントに継続されて。
絶えず、歩を進める姿はとても眩しい。
創造の引き金を携える本体の弾倉には、
あと何発の弾が眠っているのか。
僕や貴方達にも。
---
今展示は本日が会期最終日となります。
可能な方は是非、ご鑑賞頂ければと思います。
ご来場お待ち致しております。
(ぱんだ)