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三原慎平/大下滉平/多田優香 『いくつかの光路』

三原慎平/大下滉平/多田優香
『いくつかの光路』
2019.2.22-2019.2.24
at EAST 102

立教大学写真部に所属する3名によるグループ写真展が開催中。
それぞれが設定したコンセプトは三者三様、意欲的な作品が並んでいます。





今回の展示にあたり、参加している大下 滉平さん、多田 優香さん、三原慎平さんの3名はそれぞれ、写真表現という枠組みにとらわれず、日常における疑問点や批評的視点からかなり高度なレベルで作品を制作。その熱量に圧倒されます。

三原さんの作品『illminate』はストロボを炊いて暴くかのように捉えられた路傍の花が印象的な作品。同様のタイトルに川内倫子の『illuminance』を想起した人も多いかと思いますが、三原さんの作品には見えざる何かをつかもうとするような、その試みの過程がそのまま作品に現れているかのように感じます。




ささいなきっかけで、夜の路上をフラッシュを炊いてスナップしたところ、上がってきた写真には生々しく写る木々や花が写っていた。そんな気づきから、光に照らされた日中ではなく、夜の暗闇に溶けている木々にこそ生命力を見出したのだそう。

本作では夜の風景に並んで、日常でなんとなしに記録された断片的な記録がおびただしいほど並んでいます。こちらの作品は自分にしかない視点、ものの見方、気づきを大事にしていこうと掬い取った、写真に真摯に向き合った自身を写す鏡のような作品です。




「形を見ることと、光を感じることは違う」という疑問を出発点とした多田さんの作品。
ぱっと見て何が写っているのだろう?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、それこそがこの作品の本質でもあります。

写真という技術はもともと、光を感じ取り、それを写し取るということから始まりました。写真というメディアにおいて、ものの形を現実にある通りに表現するには、光がないと成立しません。

例えば綺麗な桜の風景を写真で見せたとして、はじめからそのように答えが提示されていれば、極論を言ってしまえば「これは桜の写真」と写真を使って伝えているのみということができます。そうではなく、写真は写真として、純粋にそれ自体を感じ取るための試みこそがこの作品なのです。

「形」や「意味」から解放された、極限まで原点に立ち返った写真らしい写真。
それを表現した作品が本作です。




大下滉平さんの作品も多田さん同様、写真を写真たらしめているものとは何なのか、という批評的視点が元となった作品。

本作では「写真と映像の境界」を探る試みとして、コマ撮りのキャプチャーのような写真が並んでいたり、はたまた一つの画面にコマで動く人物が合成されているものがあります。

現代は映像の技術が向上し、HDで撮影された映像をキャプチャーするだけで、高解像の静止画を切り取ることができます。つまり瞬間のみにフォーカスせずとも、映像の中で任意のコマを切り取り、それを一枚の写真として利用することができる。そうなってくると、果たして映像と写真を分けるものとは一体どんな要素なのでしょうか。

テクニックさえあれば、現実に無いものですら現実のものとして見せることができる。
技術の革新と反比例するように、写真という存在は不安定に揺らいでいます。
だからこそそのカウンターとして、より強度を持って写真として存在している、そんな作品だと感じました。


それぞれがそれぞれのスタンスで、一人ひとり真摯に写真に向き合うことでとてつもな熱量を放っている本展示。本日が最終日となりますので、ぜひお見逃しなく。


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三原慎平 1997年生千葉県市川市出身 立教大学社会学部現代文化学科
https://www.instagram.com/shimpeimihara/

大下滉平 1998年生東京都江戸川区出身 立教大学現代心理学部映像身体学科
https://www.instagram.com/kohei_oshita/

多田優香 1998年生千葉県香取市出身 立教大学社会学部現代文化学科
https://www.instagram.com/tada_yuuka_/



>>> 展示スペースの詳細はコチラ
staff isaka