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kobaka展

yamashi_

『kobaka展』
2017.2.10-2017.2.12
at WEST 2-A

何もない場所で足首を捻った、笑われた
まだ親に反抗する20代がいた、笑った
財布をなくした、笑われた
犬のうんちを踏んだ人、笑った
SNSを小馬鹿にしてる
SNSで繋がったどうしようもない私達
好きも嫌いもよく分かんないから
小馬鹿にして小馬鹿にされながら
夜のビールを楽しみに、
下手くそに息をしながら
生きてくしかないのでしょう。
—展示キャプションより—

SNSを通じて集まった5人によるグループ写真展。
衝動や感傷、反抗や皮肉、やるせなさが綯い交ぜになった、この時代のこの世代ならではの写真たちが一堂に会しております。



Ryoma Kawaguchi

90年代〜ゼロ年代に掛けてのSTUDIO VOICEが提示してきたような音楽やファッションと密接に繋がったユースカルチャーを、SNS時代のいま表現してみたらどんなものが生まれるか?
そんなぼんやりと途方もない問いかけに対する答えに、ドンピシャではないけど輪郭を与えたものがあるとするなら、本展示の5人の写真が見せる世界観はすごくしっくりくる。

決して洗練はされずとも確かに意志の宿った、いまだからこそ写せるものが各人の作品にしっかりと写っています。


Shun Aihara


全体を通してポートレート作品が中心ではあるもののそこから見えてくるのは単に人の姿だけではなく、その人の表情、ポージング、服装、髪型、ロケーション、それらが有機的に噛み合うことにより、一言二言では表せないほどの情報量が1枚の写真で絶妙に表現されています。


Otake Kawanaka


どれだけテクノロジーが発達しても、写真がに写せるのは現実に広がる世界だけ。
故にその時代の空気は敏感に作品に表れます。

この展示で提示されているものはある意味で荒削りで、でもそれは撮影者と被写体の持つセンシティブな一面の表れでもあるのかもしれません。

だからこそ、たとえば夜の街で缶ビール片手に朝まではしゃいでいたこととか、よく知らない場所をふらついてるだけで楽しかったこととか、マス的なものを毛嫌いしてこき下ろしてみたりとか、僕自身もっと若かった頃に感じていたことを思い出してしまいました。


ららら

そのようにして作品を見ることによって鑑賞者が自らの体験を重ねるってことはつまり、その作品に確固とした説得力なりメッセージが込もっているということの証左でもあります。

もちろんここまで述べたものは筆者自身の感想でしかないし、人の数だけ解釈の仕方もあるけど、そんな空気を大胆に、繊細に、参加している5人がそれぞれのやり方で表現していて、写真を撮る理由みたいなものを1から100までまるごと作品にぶち込んだような力強さがありました。


【 展示スペース WEST 2-A 】


written by isaka