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Jun Atsushi & Kaoru Ichikawa Fine Artプロデュース『高屋 永遠 第二回個展 』




『 高屋 永遠 第二回個展 ー あるいは、私でないような ー 』
2014.9.17 - 2014.9.21


Jun Atsushi & Kaoru Ichikawa Fine Art がプロデュースする
高屋 永遠さんの第二回個展「あるいは、私でないような」をご紹介します。


家族や、恋人という言葉に潜む特別性と虚構性をみつめた作品を展示されています。
誰もが持つ私的な関係性を読み解き、個人の想いに寄り添いながら「特別であること」とは何かを問いただしていきます。





日本人にはお馴染みのプリクラを使った作品です。
ただし、そのシートには誰の姿も確認することが出来ません。

これは高屋さん自身が英国の芸術大学に通わなければ生まれなかった作品だということは疑う余地もないでしょう。
プリクラという日本独特のカルチャーが今の日本人には根ざしているのです。

今展示会の主題でもある「社会の中に存在する個人の在り方」に対し、自分自身を日本人だと静かに主張した象徴的な作品であると言えます。


誕生日に頂いたプレゼントは形ある祝福の証ですが、喜びは日毎薄れていくものです。
この写真作品は頂いたプレゼントを撮影し、「祝福を受けること」を表現したもの。

楽しいことが終わった後や、翌日目覚めたときの焦燥感は誰しもが経験するものではないでしょうか。
祝福を受けた際の喜びに同居する「これから起こる、喜びの代償としての喪失体験」も含まれた作品。


まったく知らない人たちと家族写真を撮ってみる試みは実に興味深いものでした。

まず、このしっかりとセットされて撮影される家族写真というもの自体が日本ならではの風習であることを念頭に入れておくべきでしょう。

これらの写真は、不思議なことに血縁関係のない人々でもまるで家族のように映るのです。
そこに血や、生まれ育った環境など何の意味もなさないように。

「年配の男性は、自然と祖父だろう、父だろう。
子供は、この夫妻の子だろう。」

そう思った瞬間に、この疑似家族写真に大きな価値が生まれるのです。








高屋永遠(1992年、東京生まれ)
幼少期より母親の影響でアートに興味を持つ。
慶應義塾大学湘南藤沢高等部在学中に第83回国展(新国立美術館)に当時最年少の17歳で入選。
同大学経済学部中退後、渡英。
現在ロンドン大学ゴールドスミスカレッジにて現代アートを学ぶ。
ゴールドスミスカレッジ入学時よりペインティング、ビデオ、写真、テキストワークと多岐に渡る作品制作を行っている。


当展示会の主催である Jun Atsushi & Kaoru Ichikawa Fine Art さんのWEBサイトはこちら


-chida-