EAST : 102
ネガな事象をポジティブに取り上げること。
光を差し込むことで、白んでいくそれは、本来の色を見失わせる。
それでも、本質は変わらない。
透明度を増し深層まで見通す事が可能になって、
張り巡らされていた意識の細胞が可視化するだけ。
akane fujikamiさん
さぁ、彼女の内側を覗き込みます。
自身の内に潜り込む作品が集合した空間は、
生温さのたまり。
作品を拝見しながら、僕は大好きな小説の一文を思い出しました。
「きみの内臓のなかにいるみたいだ」
その言葉を借りるなら、作品を介して、僕はその瞬間、
akaneさんの内蔵のなかにいる。
可視化された意識と対面しているのだけど、
やはり意識の中にいる気分ではない。
あくまで対面しているだけで、自分が足を下ろしている場所は、
臓器、脈打つ場所のよう。
「肺」
-Breath-
柱の中央に打ち付けられて、鼓動を打つ。
akaneさんが描く人体は全て女性のもの。
光に壁/肌を透かして、皮膚をこえて、血液を送り出す仕組み。
彼女が生きる仕組みを目にする。
壁に寄生しているみたい。
白い肌に。
「足りないものは何か、何かと嘘で埋めつくす」
I buried the lack with lies
三枚が埋め尽くすのは、広大な敷地の一部分。
恐らくこんな光景が水平線の向こうまで広がっていることでしょう。
「正しい」というタイルを敷き詰めていくと、
それは整い、清潔感のある空間になる。
でも、突き詰めたとき、無菌空間になって、
自己の皮膚にいて、身を守ってくれる常在菌まで殺してしまう。
欠落した箇所を埋めるのに、正しいタイルはするりとはまるのか。
正しいタイルの僅かなほころびが集積して、
正しくはない形を欲するのではないか。
それに習うと、当初あるべき姿ではないにせよ、用途を満たすことになる。
感覚がそれであるとして、絵画だとすれば。
限られた空間を線/インクが支配していって、
ふと指先が止まった瞬間から、嘘が始まっているのかもしれない。
そのピースは綺麗にはまってはいるけども、
本当に正しい奴なのか。
吐き出され、かき回された者たちは
身体の一部を失い、痛みと共に血を流す。
やがて血は凝結し、その上を組織が覆い出す。
気づけば、元とは異なる形がそこに形成される。
出来上がったのは、観た事もない異形の装いだったとか。
想像の産物であるから、あり得る、あり得る。
でも、吐き出して/書き出してしまった瞬間、
矛盾の世界をひねりつぶして、彼らは誕生します。
一秒ごとに変容するであろう彼らは、
一瞬を切り取られた"から"強がっていられる。
三枚/三カットから映像が見れたとしたら、
彼らはとても、もろい存在なのである、ということを思い出すでしょう。
そしてその彼らとは、akaneさんのことでもあるし、
私たちでもあるのです。
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展示期間は17日、月曜日までとなります。
平行して、EAST : ART PIECEにも作品を展開されています。
ご来館の際には、時間をかけて鑑賞なさってください。
(ぱんだ)